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70回目 2019/5/24

 あくまでネットの声を鵜呑(うの)みにすれば、なろう作家・なろう作品はある種の属性付けが完了しているように思えます。


 ありがたくも、ここ『小説家になろう』・略して『なろう』に(アカウント)を置かせてもらいそれなりの年数が()った。


 活動の中身としては読者側の割合が多かった私だが、書籍化ブームがほぼ過ぎた(と思っている)昨今の『なろうコンテンツ(原作書籍・コミカライズ・アニメなど)』への意見を目にしてきて、ふと思ったことがある。


『なろう作家として』売れるには、作品の質を高める努力は必要ないのでは? ということだ。


 誤解を与える言い回しだが、私は大勢いるなろう作家が、個人の考えで作品の質を高める姿勢を取ることを否定したりはしない。むしろ自分が、質を高めるために努力している派だと思っている。(実際は不明だが)


 あくまで『なろうでウケた作品』が『一般書籍』として世に出たとき、『販売戦略』としてストーリーや設定の甘さを武器(ウリ)にした方がいいのでは? と言いたいのだ。


 言い換えれば、『なろう系作品』のブランドイメージからすれば、作者は『笑わせる』ための努力より『笑われる』努力をした方が成功する、ということ。


 つまり、『面白い!』と評価されるより『ワロタw』と揶揄(やゆ)される方が、『知名度が広がり有利』になりやすいのだ。


 データとしては不明だが、実感として現代では『誰もがうなる美点(おもしろさ)』よりも『誰もが叩ける欠点(おもちゃ)』という部分に、注目が集まりやすいと思われる。


 完成度が高い『なろう作品』は『叩ける(すき)』が少ないことから、作品への評価が『内輪(ファン)の中で評価(おもしろさ)が完結しやすい』といえるのではないか?


 逆に、現在バナー広告などでもよく見かけ、広く名前が知られている『なろう作品』は『叩く(すき)』があるからこそ、『外野(アンチ)評価(せんでん)してくれている』ともとれる。


 今や作品のすべてに目を通すことが不可能なほど娯楽が氾濫(はんらん)した時代であるため、『悪名が無名に勝る(=悪い評価でも目立った方がいい。いわゆる炎上商法?)』やり方が非常に効果が出やすいのだろう。


 そもそも、『なろう作品』の売り方からして従来のラノベとはかなり異なっていた。


 登録者数の多さから人気作に多くの『読者(ファン)』が集まり、出版の段階で『見込み購入者』が可視化されているため、一定の売り上げが期待できるのが『なろう作品』の強みだった。


 だがそこから、どう『なろう外の顧客』へ展開していくのか? が次の問題になるだろう。(その手段として『コミカライズ』が主軸になっており、人気作になれば『アニメ化』でさらに広めている印象がある)


 そう考えたとき、『完成度の高い作品』だと『なろう』という肩書き(ブランド)が『邪魔』になる。


 すでに『なろう作品=なろうテンプレ群』というイメージが一般にも浸透(しんとう)しつつある状況では、『なろうテンプレ』になじみの薄い読者には『どうせ○○みたいな内容だろ?』と敬遠させる効果しかない。


 その上、『なろうテンプレ』を好む読者にとっては『完成度が高い=なろうテンプレの要素が薄い』と評価される可能性がある。『面白いけど思ってた内容と違う』、という需要のすれ違いが起こりやすいのだ。


 よって、『完成度の高い作品』を『なろう作品』として書籍化すれば、元々の作品ファン以外の『新規顧客』を取り込むのが非常に困難になってしまう――つまり、ヒットの望みが最初から薄まっているのだ。


 その点、コテコテの『なろう作品』であれば『なろう』の看板(ブランドイメージ)(いつわ)りがなく、『なろうテンプレ』を好む読者は安心して購入し楽しむことができる。


 さらに作品が売れれば、『なろうアンチ』が積極的に批判(せんでん)してくれる(最近は公式もアンチ寄りの(あお)り文を広告に掲載する傾向がある?)ため、『新規顧客』にも存在が知れ渡るチャンスも広がる。


 アンチの意見にそれほど効果があるか? とも思えるが、人間とは不思議なもので、酷評(こくひょう)自虐(ネガキャン)が集まれば『怖い物見たさ』から少数でも『未開(しんき)顧客』が集まるのだ。


 そして、集まった『未開(しんき)顧客』がうまく『ファン』か『アンチ』にとなり、作品の応援or批判に加われば、ラップバトルのディスり合戦に似た『ライブ感』という別の楽しみも共有できるのではないだろうか?


 私の偏見が多分に混じった推測ではあるが、そう考えると『なろう』の代名詞として名前が挙がりやすい作品に、『ファン』と同じくらい『アンチ』が多いのも頷ける。


 とはいえ、これは自分の作品を大事に思う作者にとっては、大きな我慢が必要な売り方と言える。


 何故なら、こうした売り方は作者の意図しない部分から作品が注目されることが多いからだ。批判のされ方によっては、作者自身がバカにされた気分となるため不快度(ストレス)はかなり高まるだろう。


 ネットの意見からしても『なろう作品=ギャグ・精神ポルノ』という扱いが目立ち、作者が真剣に書けば書くほど『読者の楽しみ方』とのギャップに苦しむことは目に見えている。


 なので、商業作家を目指して『なろう』で活動するならば、『作品=自分の子供』などという青臭い(アマチュア)精神は捨てよう。『作品=商品』と割り切った考え方で挑まなければ、確実に心が持たない。


 今の『なろう』からデビューするならば、『笑わせる』プライドを完全に捨てた『笑われる』作品を作る覚悟が必要なのだ。


 世間(ネット)が『なろう』に『笑われる』作品(コンテンツ)を求めている限り、『売れる近道』は『道化(なろう)(てっ)すること』だろう。


 それでもなお『笑わせる』作品(コンテンツ)として勝負したいなら、それこそ『なろう系』というジャンルを作り出した先達(せんだつ)と同じか、それ以上の作品を作り上げる努力と革新的な成果が必要だ。


 業界不振から博打(ばくち)要素を嫌う出版社がどちらを選ぶか、またどちらの作品づくりがより困難な道かは言うまでもない。


 こうして、日本のラノベ文化は『粗製(そせい)濫造(らんぞう)』と楽し(さげす)まれつつ、より内容(クオリティ)特化(すいたい)していくのだろう。


 なろう出身として商業作家になるのであれば、『なろう』という確立された属性の看板を背負うか否かが重要になりそうな気がします。


 いくら落語・漫才・大喜利などといった『小手先の技術』を伸ばしたところで、出○哲朗さん・狩○英孝さん・ナ○ルさん・クロち○んさんなどのような『料理しがいのある天然素材』に近い要素が、なろうに求められている側面は変えられません。


 自分の作品を『売りたい』だけならば『笑わせる(0から1を生み出す)』作品よりも、いっそ開き直って『笑われる(10から6~8を生み出す)』作品の需要を満たす内容を考えた方が楽だと、私は考えました。


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