7回目 2019/3/22
これを初めて一週間。
空は移り気で気分屋だ。
青くなったり赤くなったり、白い壁で隠れたり黒い仮面で叫んだりする。
どこまでも自由で、どこまでも横暴で、どこまでも泰然とした空。
今日も見上げれば、空は変わらずそこにあって、小さな世界を見下ろしている。
はるか高みから見る景色は、いったいどのような感じなのだろうか?
海は同じように青く広がっているが、果てがある分手狭に感じるのだろうか?
山は地面に浮かぶニキビのようなもの? やっぱり、不快に思ったりするのだろうか?
大陸はピカピカ光って目がチカチカするのだろうか? でも、光量は太陽と比べれば蛍火に近いのだろう。
島は果たして見えているのだろうか? 小さすぎる孤島などは、海の色に紛れて見えていないかもしれない。
人の営みなんて、それこそ蛍火の明滅でしかわからないのだろう。あるいは、戦いで大陸を荒らすキノコ雲が出た時に目がいくのだろうか?
見えているけど、見えていない、そんな気がする空からの視点。
何かを見ているようで、何も見えていない気がする、高い高い目線。
でも、人と同じ目線に立とうとすれば、今度は小さすぎてやっぱり何も見えなくなるのだろう。
ちょうどいいところから見ることは、できるのだろうか?
空と地面の境目? 地面の境界はわかるけど、じゃあ空の境界はどこまでで誰が決めていいもの?
無限に広がっている空に区切りをつけることそのものが、不可能なのではないだろうか?
先の空の視点も、宇宙の視点からすれば星そのものが蛍火のように淡くはかない存在だ。
銀河から見た世界はとても広くて把握し切れるものではない。
石ころのような点滅の中にある数多の命を見守るなんて、どれだけ高性能な顕微鏡を用いればいいのだろうか?
ミジンコのように小さな人を観察するのに、それだけの労力を払う必要がどこにある?
それを研究する酔狂な専門家なら話は別だが、少なくとも一般と呼ばれる層には見向きもされない世界のはずだ。
世界の焦点が違えば、どこまで極小の世界でも宇宙になる。
だから一つの星の出来事も宇宙になり得るし、プレパラートに乗せられた一滴の水も一つの宇宙である事実に変わりはない。
僕たちが見ている世界は、何だろう?
僕たちが得ている世界もまた、空の視点なのかもしれない。
蟻からすれば僕たちは想像の埒外にいる巨人だ。
戯れに仲間をつぶして殺し、時にすみかである巣を崩壊に導く天災である動物。
世界を壊す、災厄の動物。
特に自分が変わった印象はない。