68回目 2019/5/22
エッセイではよく見る話題ですが、みなさんは作品のブクマや評価ptってどうしているのでしょうか?
創作系のエッセイで、作者側への応援を読者側へ求めるものがある。
ブックマーク、評価ポイント、感想、レビューについての話題だ。
今回はそれについて触れてみよう。暇だし。
ブックマークは名前のせいか、使い方が個々人で割と異なる。
『1ブクマ=2ポイント』という性質を重視した人ならば作品(ひいては作者)の応援として用いるだろうが、『ブックマーク=しおり』という認識では作品が完結すれば外されるケースが多い。
ちなみに私は後者であり、なろう作者界隈では『妖怪ブクマ外し』と呼ばれ親しまれて(?)いる。今日もせっせと、仕分け仕分け♪(実際の仕分け頻度はそこまで多くない)
このポイントがくせ者で、『完結したら外す派』が多数の作品であれば終了と同時にポイントがごっそり減少する。それはともすれば、作者へ『面白くなかったという意思表示』と誤解させる要因になり、作品の完結を忌避させる要因にもなっている。
ポイント増加を『成功体験』として脳が認識すれば、より評価を上げる楽しみを得るために活動している作者にとってポイント減少は『失敗体験』に他ならず、『避けねばならない事態』となってしまう。
中には、俗に『完結ブースト』と呼ばれる、お祝いポイントを寄ってたかってぶつけられる(?)現象が起こる。結婚式のライスシャワーに近いだろうか。嫉妬が込められた米は痛そうだと思う……。
もしも『ブクマ外し』と『完結ブースト』のせめぎあいにより、『ブースト』優勢ならば作者はさほど気にしない(むしろ喜ぶ?)だろうが、『外し』が優勢になればなるほど落ち込み方も酷いだろう。
以前、『ブクマポイントは廃止すべきでは?』という意見をエッセイで見かけた気がする(確証なし)くらい、メリットとデメリットが同じくらいあるシステムと思ってよさそうだ。
私の個人的な意見としては――正直どちらでも構わない。ブクマはしおりであって、それ以上の価値を見出していないからだ。
読者様の意思や決定に口を出すつもりはない。どうか私の連載作品も、どんどんブクマを外してくれ……ん? それは違うか?
次に評価ポイントは、文章評価とストーリー評価にわかれており、上限5:5の合計10ポイントが一作品に下せる最大値になっている。
こちらは長編だと最新話でしか評価できない仕様で、文字数が多い作品ほど入れるのに微妙な手間がかかる。
が、感想やレビューよりもお手軽にこちらの『作品を楽しんでます感』を示せるので、私はある時期から既読作品にはほぼ九割ポイントを入れて立ち去ることにしている。
誰も興味ないだろうがこっそり評価基準を書くと、5:5(10ポイント)で『面白い』、4:4(8ポイント)で『普通』、3:3(6ポイント)で『いまいち』という3段評価を基本にしている。
たまに『内容は好きだが文章が気になる』などの例がでれば4:5(9ポイント)を付けたり、『文章は気になるけどそれ以上に内容が面白い』と思えば5:5(10ポイント)を付けたりと、結構適当ではある。
また、3:3(6ポイント)未満は送らないようにしている。わざわざ『私個人の感性では面白くなかった』と言わなくとも、ただ静かにその場を立ち去ればいいだけの話だからだ。
その考えから、長編作品も途中でリタイヤすれば最新話に飛んでポイントを入れて逃げることもまれにある。検索無精な私が、基本ランキングの砂金探しをするだけのものぐさ読者なのも一因だろうか?
ともあれ、ポイントは心の報酬になりがちなため、創作の潤滑油の役割にならないと判断したらノータッチくらいでちょうどいいだろう。
評価の気分は各々に任せよう。『面白かったぞコノヤロー!』と硬式野球ボールで顔を狙うもよし、昔のバラエティよろしく寝起きバズーカ(実弾)を発射するもよし。
とにかく評価はその場のノリと勢いが大事だ。後で当時を振り返り、『あのときは若かった……』と懐かしむような無鉄砲さで挑んでもらいたい。
(余談だが、私は『評価の取り消し』をしたことがない。時間が経って価値観が変わったとしても『当時の私』が楽しんでいた事実は変えられないし、何より『取り消し作業がめんどい』からである)
さて、残るは感想とレビューだが……ノーコメントで。
これも作者側としてはシステム的に嬉しいものであることは否定しないし、実際に好評な意見をもらえば喜びもまたひとしおだ。読者様の生の声を聞くなど、とても贅沢な仕様だと本気で思っている。
もう一度言おう。
作者にとっては、実にありがたいシステムだ。
だが、その……怖いんだよね、赤文字。
私は基本、スマホからマイページに並ぶブクマの最新話を漁る読者スタイルであるが、その時に鮮烈な原色レッドで表示されると、まるでロシアンルーレットのリボルバーをこめかみに突きつけられた気持ちになるのだ。
そもそも赤は警告色である。無意識な闘争心をあおるもの(闘牛の赤マント理論)であり、危険を知らせるものであり、我々人類に『非難』を促す色なのである!!(ちょっと誤字ったようだが、先に進もう)
無論、わざわざ私の作品のために時間を割いて感想の文面をつづってくださった聖人君子の読者様には感謝しかないが、応援と色とは話が違うのだ。
本当に個人的な意見としては、青文字くらいになって欲しいもの。視覚だけでもいったんクールダウンしたい。わがままを言えば緑が好きだが、サイトデザインのイメージとかぶるため青で妥協すべきだろう。
なお、そんな心持ちのためか、私が他の作者様の作品に感想を書くことは滅多にない。回数で言えば片手で数えられるほどで、レビューに至っては完全に0だ。
一番の理由は『余計なことを書きそうだから』、コレに尽きる。相手が望む望まないに関わらず、批評的に『良いと思ったところ』と『悪いと思ったところ』を同じ分だけ書いてしまうと自覚があるからだ。
ぶっちゃけ、私が自作にそうした感想を求めている故の心理だろう。
だが、変に波風立てる必要もないし、リスクが事前にわかっていれば避ければいい――というわけで感想は避けている。
レビューは『自作品を客観的に評価をする練習になる』みたいなエッセイ(だったと思う)を読んだ記憶があり、やってみようかと考えたこともあったのだが、結局行動に移してはいない。
書き方がわからない、作品に感想も残さない奴のレビューなど怖いだけ、そもそも自分の利益に他人を巻き込むのは好ましくない、という理由が主だ。
こうして並べ立てると、私は本当に『やらない理由』を考えるのが上手いと思う。よく言えば慎重さの裏返しなのだろうが、すべてに対する消極性も見えて、よい性質とはあまり思えない。
……若干話がそれたが、私の考えはおおよそ以上になる。
応援や気遣いの形は人それぞれで、その気持ちを『誤解なく』他人に伝えるのは難しい。
そういう意味で『言葉』とは、とても便利だがどこか不自由な道具だといえるかもしれない。
以前ここでも書いたかもしれませんが、私はブクマが完全にしおり代わりで、評価は読んだものにはほぼ付けています。
ごくまれに、感性が合わなさすぎてブラバ・そっとじする作品もありますが、おおむね評価ptの投げ逃げを行っています。
みなさんも無理にとは言いませんが、やってみてもいいと思いますよ。少なくとも、手口が似ているピンポンダッシュよりかは喜ばれるでしょう。




