678回目 2021/1/21
何書けばいいのかわからないお題はきついです。
一回目のお題は『重いアルパカ』。まず『アルパカ』をそんなに知らないし、『重い』って言われてもそりゃそうだろと返すしかない。
私の『アルパカ』に関する知識なんて薄いものしかない。真偽は不明だが、『威嚇するときは痰を吐き出す』とか『体毛はほっといたら伸び放題』とかがせいぜいだ。
そんな知識ほぼゼロの単語から何か作れ、といわれるのが『即興小説』でしんどいところだろう。ジャンルが門外漢だから、とはまた別のやりにくさがある。
また、必須要素(無茶ぶり)が以前も当てられて苦戦した『チョイ役』だったのもあって、より苦手意識が強まってしまった感じは否めない。
何も思いつかない状態から、どうしようどうしようと考えていたら、最終的に『考えてもどうにもならんから思いつくまま書こう』、と完全に開き直ってしまった。
これはもう、私の中で『夢で見た内容をそのまま小説として出してしまえ』と同じ意味になる。ほぼほぼストーリーとしての魅力を飾る努力を捨てて、文字だけ重ねてしまえと言っているようなものだ。
まあ、そういう姿勢が悪いとは言わない。むしろ私の場合、それくらいの適当さがあった方が行動に移しやすくなると思うくらいだ。
若干、行動力を出すべきところを間違った気はしているが、『即興小説』は練習だ。練習でできないことは本番でもできない。予行練習だから大丈夫。そう思っておこう。
うだうだいいながらも『1108文字』を書けたんだから、考えなしでスターとした割にはよくやった方だと思う。時間切れで完結なんてしなかったが。
結局、できあがった内容は『羊みたいに毛が分厚くなった、人慣れしている野生のアルパカと遭遇したので毛狩りをした』、というよくわからないストーリーになった。
面白さはわからんが、シュールさは強くなっているように思う。無理やり書くとこうなる、という典型みたいな短編になった。仕方ない。
ある種のあきらめがすでにくすぶりだしたところで、二回目の『即興小説』に手を出し始めた。
お題は『振り向けばそこに信仰』。身近にあるものだが、普段はあまり意識しないところに『信仰』の後は残っている……みたいな感じで進めるか? と思案し始めた。
で、必須要素(無茶ぶり)が『酒』だったこともあって、題材として思いついたのが『祭り』だった。特に秋でよくやられる豊穣を祈願する系は、たぶん神道系の風習からきているだろうし相性が良さげだと思ったのが大きい。
というわけで、私の中の『祭り』のイメージを引っ張り出して『祭りの準備や練習のあと、酒を飲んでバカ騒ぎする大人にうんざりする小学生』を主人公に書いていった。
私の地元ではどうだったか? みたいな記憶を漁って少し時間を費やしたようで『987文字』と『1000文字』の大台は越えられず。
こちらも時間切れで完結できなかったので、お題の『振り向けばそこに信仰』というのも描写し切れず終わってしまった。
私の中では『祭りを口実にただ騒いでいるだけに見えて、祭りそのものが信仰の上で成り立っている』、みたいなことを書きたかったのだが。
そもそも日本の宗教観はかなり特殊だ。ベースは神道にありながら、表向きは仏教でほぼ統一されていて、行事の中にはクリスマスやらハロウィンやら別の宗教も混在させている。
それは多神教である神道の影響が色濃いのは間違いない。『八百万の神』って概念は、この世にあるすべてを神になりうる可能性を示唆したようなものだ。
そして、日本ではそうした考えが『教えられるもの』というより『生活に根付いたもの』になっている。普段意識することは少ないながら、確実に神道の『信仰』は残っているのが特殊だと感じるゆえんだ。
そう考えると、日本人ってかなりレアケースの人種なのでは? と思うこともある。視点の変えて物事を見ると、新たな発見があって面白いものだ。
まあ、あくまで創作に活用できそうな範囲で楽しむ程度だけど。現実の生活にまで持ってきて声高に主張するほど、強い宗教観があるわけでもないし。
ネタが思いつかないと一歩目も出ませんからね。精神的にノリ切れない状態ならなおさら、手応えゼロで書き進めるしかないわけですし。
書ける気がしないのに書かなきゃいけない、みたいに思うとしんどさが増します。どんなことでもそうかもしれませんけどね。




