637回目 2020/12/11
まだ、まだ間に合う……っ!!
一回目のお題は『見憶えのある狂気』。ちょこちょこ遭遇する『狂気』というお題、毎回処理に困っている気がするのは記憶違いだろうか?
なお、必須要素(無茶ぶり)は『日本』なのでそこまで気負わなくてもいい舞台になってラッキーと思っておく。気がつけば現代劇を書いているので、負担にはならないだろう。
で、どんな話にするかだけど、『見憶えのある狂気』で真っ先に思いついたのが『子供の頃の残酷さ』だった。
覚えはないだろうか? 意味もなく小さな生物――特に昆虫なんかを捕まえてつぶしたりするようなこと。あれは冷静に考えれば『狂気』と読んで差し支えあるまい。
そう思ったので、『公園でアリをつぶして遊んでいる子供を見たカップルの雑談』をプロットにしてみた。面白いかどうかは、まあわからないけど。
会話が中心で三人称の地の文で書き進め、『932文字』を書いたところで時間切れとなった。まあ、オチを思いついていなかったのでちゃんと落とせたかは知らないけど。
まじめな感じでよくわからないことについて思索を深めるのは、私の文字数稼ぎとしてはよくやる手法でもある。
とはいえ、ふとした疑問に時間を使ってしまうことは、私にとってはよくあることなので題材にしやすい面はある。
それに、生きていく上ではどうでもいいことについて考えるのは意外と好きなので、変に自問自答をキャラにしゃべらせていたら文字数が勝手に加算されていくし。
中身がなかったら意味がないので、もうちょっとそこらへんのさじ加減は考えないといけないんだけど、書いている最中はあまり深く物事を考えられないので『即興小説』じゃ難しいか。
ひとまず、しんどい執筆ではなかったのだけは救いではあった。
ちょっとだけ自分の闇をのぞいた気になりつつ、二回目の『即興小説』にいってみよう。
お題は『都会の小説修行』。先日『小説トレーニング』とかでやった気がするんだけど、私の記憶違いだろうか? 似たお題の連鎖はマジでやめてほしい。ネタがないから。
なお、必須要素(無茶ぶり)は『「なんでやねん」』。地元に近い言葉でなじみは深いけれど、意外とちゃんとしたフリを作らないと面白さに欠けるので、お膳立てを用意するのが大変かもしれない。
笑いはちゃんとしたロジックの組立も必要な分野だ。特に声音やトーンなどの勢いでごまかせない『文章のみ』という制限の中では、ロジックだけが笑いを生む武器にできる。
単純な『「なんでやねん」』にも、笑いに昇華するために丹念な積み重ねと入念な下準備が必要なのだ。関西人として、そこはきちんと主張しておきたい(ただのド素人)。
さて、『「なんでやねん」』についての小言はさておき、プロットをどうするかだけど。ぶっちゃけ、ほとんどなにも思いつかなかったに等しい。
少し時間を使って考えてみたけれど、『田舎の学校の文芸部員が大阪に小説のネタ探しにきた』程度のプロットしか出てこなかった。
『小説修行』だけならまだもう少し幅があったかもしれないが、『都会の』と場所が限定されると動かし方がとたんにわからなくなる。
そもそもの私が田舎出身で『都会』になじみが薄すぎるのも問題だ。極たまに友人と遊ぶ、というときくらいしか都会っぽい場所へ出てこないし。
なので、あんまり自分でも納得できない感じで書き進めながら『825文字』で時間切れとなった。
こういう『小説修行』みたいなお題はとにかく話を作りづらい。なにをすればいいのか、どこを道描写すればいいのかでまず混乱する。
『修行』回を書くのが得意とか好きな人はそう思わないのだろうが、私は割と省くタイプなので経験不足も大きいのだろう。
かといって、それを特別に鍛えるか? と言われれば首を縦には振らないと思う。効果的に面白く『修行』を書くのにも、結構な腕が必要な気がするし。
まあ、苦手だからと逃げていればその能力が弱いままなので、いずれは挑戦しないといけないのだとは思っている。いつになるかはわからないけど。
結局ぼちぼちやっていこう、っていう方針はかわらない。ぼちぼちがんばろう。
さぼり癖が早速顔を出してきたみたいです。投稿までにちょっと力つきてました。




