63回目 2019/5/17
『書きたい』ことを書くだけなら、速度は速くなるのでしょう。
『書きたいことを書く』といえば聞こえはいいが、実際に書いてみると内容はスカスカである場合が多い。
軽い思いで何も考えずに書いた物は、『少し肉が付いただけのプロット』にしかならない。場合によっては、『末期な骨粗鬆症プロット』でしかない場合もある。
作者が主張する『書きたいこと』は、だいたい内容が漠然としていて要領を得ないものが多い。他の作者様はわからないが、少なくとも私はそうだ。
それはテーマでもあるだろうし、思いついたワンシーンでもあるだろうし、主人公の活躍であるだろうし、ヒロインの理想像でもある。
作者一人一人によって違うし、同じ作者でも年齢や流行などでも書きたい物は違ってくる。
価値観は常に流動し、その時その時で宝石のように輝いて見える物も変わってくる。
だから、『原石』を磨き加工し体裁を整えることが必要だ。
だいたいの小説指南でも推敲(一度書き上げた作品を何度も読み直し、修正して完成度を上げる作業)は大事だといわれている。
いくらダイヤモンドやエメラルドなどの価値が高い宝石も、『原石』だと素人目にはどれがいいかなんてわからないし、不純物がへばりついている状態では宝石だとすら気づけない。
それを『宝の石』と呼ばせるまでには、研磨師の技術によって万人にすごさが理解できるレベルに押し上げなければならない。
(ちなみに、よく知りもしない『宝石』をたとえに用いたことを心底後悔している。よけいにわかりにくくなってる自覚はあるが、引き返せない……)
上記の例を引っ張れば、『少し肉が付いただけのプロット』は『形がいびつで輝きが鈍い宝石』であり、『末期な骨粗鬆症プロット』は『削りすぎて小さくなった宝石』に等しい。
下手をすると人工物よりも酷い出来映えのそれを、研磨師がどう扱うかは自由だ。
現代であれば、二束三文の値段でも怪しいパワーストーン系装飾品にして売るのが『正しい』のだろう。
なのに、私は失敗したものでも自己満足にこねくり回して、何とか自分の理想を形作ろうとするような無様をさらしている。
『いびつな形に見えて、実は霊的パワーがうんたらかんたら』などと平気で語れる図太さが欲しい。
他人の評価は気にしないようにするといいつつ、他人の目を臆病なほど気にしてしまう自分を変えたい。
今日もまた、得体の知れない何かにおびえて執筆を続けている……。
多く広い人に『誤解なく伝えたい』から、筆は遅くなるのでしょう。




