623回目 2020/11/27
自分勝手に、自己中心的に、好き勝手やります!(自己暗示中)
一回目のお題は『素朴な整形』。『素朴』もなにも、ずいぶん前から見た目やビジュアルについて完全に捨て去った私にとって、『整形』とは『金の無駄遣い』以外にない。
外見にコンプレックスがあるような人には効果的な精神療法になりそうだが、『整形』依存なんてものもあるし……とにかくあまり興味のない分野に違いはない。
それなのに、必須要素(無茶ぶり)は『2000字以上3000字以内』と私の執筆速度ではカバーしきれない文章量を提示してくるんだから、最初から達成は不可能だと見切りをつけても仕方があるまい。
なるべくポジティブな考えにしよう! とは数日前に発言したが、根っこが後ろ向きだと簡単ににじみ出てくるものだ。前向きは一日にしてならず。後ろ向きは一日すら隠せないものだ。
と、私の気質についてはいい。『即興小説』についてだが、たとえお題の内容に興味がないとはいえ、まったく展開が思い浮かばないかと言えばそうでもなかった。
あくまで私のイメージだが、『整形』とは若い女性が食いつくものだと思っている。詳しい内訳は知らないので、あくまで個人の偏見だ。
というわけで『整形』のキャラは女性に決まったとして、あとは適当に『整形後の自分』をモノローグでも台詞でもいいので語らせたらいいか、と大枠を決めた。
プロットも単純で、『プチ整形で鼻の高さを少し上げた女子高生が、それだけでやたらテンションが高く別人のようになる』、というコメディっぽい内容になった。
適当なプロットだが会話がそこそこ弾み、『1002文字』を書いたところで時間切れとなった。終わりは見えないままだったけど。
言ってしまえば『身体的コンプレックスを解消したことでハイになっている状態』で、私が書いておきながら『あぁ、これ一時的だなぁ』と冷静に見てしまう。
人間は欲深いもので、足りないものが満たされたらまた足りないものを探してしまう生き物だ。欠点と不足はいくらでも見えてくるし、すべてを埋められる超人など存在しない。
ある程度で満足し、妥協すれば欠落の苦しみを緩和することはできるだろうが、そう簡単に割りきれはしないのもまた『コンプレックス』というものだ。
私なんかは自分の欠点はよく見えるくせに、自分の美点はまったく見えないダメな目しか持っていないから、人生の難易度を勝手に上げている節はある。
矯正したいけどままならない。性格とか気質って、そういうものなんだろう……。
自己分析の果てになぜかしんみりしてしまったところで、二回目の『即興小説』を読み直してみる。
お題は『群馬のネット』……『お前たちはまだグンマを知らない』、だっけか? それしか浮かばなくなった時点で私の想像力の羽はポキリと折れてしまったに違いない。
私はその作品を読んだわけではないので詳しくは知らないが、やたら辺境とか奇妙な文化を持っている、といった自虐ネタを中心にしていたと記憶している。
『翔んで埼玉』とはまた違った県民ディスりマンガ、と私は認識しているため、『群馬のネット』なんて見せられたら90年代後半並みの速度を勝手にイメージしてしまう(群馬県民のみなさま、ごめんなさい)。
なお、必須要素(無茶ぶり)が『ドア』だったせいで『ネットカフェ』みたいな個室店を想像してしまったために、場所のイメージも固定されてしまった。
こんな偏見まみれの要素を抽出して、『群馬のネカフェもどきにユーチューブを見に来た学生が、自分の青春について思いを馳せる』、みたいながっつり心情描写中心の話になってしまう。
私としてはやりやすい形式だったので、ほぼほぼ内面世界へ主人公を歩かせて『940文字』の時点で時間切れとなった。
内省というか、自己分析をしてしまうのはもはや私の癖と言っていい。それがとっさの描写で小説に強く反映してしまうのは、ちょっとどうかと思うが。
こういうのって、結構長いスパンで折に触れるものであって、頻繁にやるもんじゃないんだろうなぁ……と思ってはいるんだけど。
それに、内面ばっかりに目をやっていると情景描写がおそろかに、ってか下手になってしまう。技術を上げたいと思っているのに、それじゃあダメだろう。
作家の個性としてはとんがっててもいいが、技術はなるべくとんがるよりも平均的に修めておきたい。そう贅沢を言うのが私の作家としてのサガなのだ。
とはいえ、活動量はうちに秘めた熱量ほど発揮されていないのが現状なのだけれど。
ちゃんと活動しよう。そうしよう。
実際に口に出して言葉にしていないので、ただ文章で吐き出すのにどれほどの効果があるのかはわかりませんけどね。
それに、やるならやるでキーボードよりも紙にペンで書いた方がより効果は高いでしょうし。やることが半端ですねぇ、私は。




