6回目 2019/3/21
文章を書くだけでは飽きるので実験。
冬が終わった。
肌を突き刺す寒さから、薄く汗をにじませる柔らかい暖気に世界が衣替えする。
時には道を白く染めていた雪は溶けほどけ、代わりに散り降るピンクの花弁が新たな門出を祝っている。
雪を厳しさと貧しさによる涙だと、思うことがある。
身を引き締める寒さ、作物が実らない環境、多くの命がひっそりと身を潜める凍りついた時間。
その厳しさを紛らわせるため、己を励ましごまかすために流されたのが白き無垢なる涙。
はらはらと、ぽつぽつと、時には濁流のように、世界を白い涙で染めていく。
でも、ひとたび冬が終われば、涙を養分にして植物が芽吹き命を世界にあふれさせる。
春の象徴とも言える桜もまた、暖かさを感じ取ってつぼみから脱却して花開く。
ただ、散りゆく桜の花びらもまた、どこか涙のようにも思えるのだ。
厳しい冬を越えきれずに力つきた命。
ほかの動物に食われ食物連鎖に乗って血肉となった犠牲。
それらが地面にしみこんだ赤が、かの木の花弁をうっすらと血に染めているのではないか?
無念のままに死をむかえた全ての命の慟哭を、自分たちを置き去りにして命を繋ぐ者たちへの怨嗟を、自分たちを糧に生きながらえるすべての命に対する怨念を。
かの木にそそぎ込んで、芽吹き間もなくはかなく散らすことで訴えているのだ。
おまえたちの命は、降りしきった血の花弁が広がる大地の上になりたっているのだと。
おまえたちを支えているのは、数多の犠牲になった命があるからこその幸運なのだと。
気づかないまま脳天気に生きることを許さないように、毎年毎年、季節の巡りと同時にたたきつけているのだ。
おまえたちがきれいだと見ている花弁は、それだけ失った命の数と同等であるからこそ美しいのだ。
散りぎわを畏怖せよ、心に刻め、そして自覚せよ。
命を踏みにじって生きることの重さと、尊さと、責任を。
見ているぞ。見ているぞ。
季節が巡る度に、おまえたちを見ているぞ。
油断するなよ。確かな地面などないのだぞ。
お前が花弁になる日も近い。
少しだけ掌編みたいな物を意識してみた。