560回目 2020/9/25
いうまでもないですが、本日も二敗です。
一回目のお題は『熱い大学』と、第一印象から取っつきにくい言葉だった。
そもそもからして『熱い』という単語と、基本ローテンションな私は相性が悪い。サマー的な意味でもテンション的な意味でも、私と『熱い』は互いに距離をとっている関係だ。
創作においても、熱血ものの作品とはあまり相性がよくない場合が多い。アニメだと『キ○ラキル』とか『グレ○ラガン』とかの系列は肌にあわなかった。
そこから何とか書かないといけないかなぁ、と考えている最中に見た必須要素(無茶ぶり)は『ガラパゴス諸島』。さらに事態は混迷を極めつつあった。
『ガラパゴス諸島』と『大学』……たしか自然保護区だったはずで、島内に『大学』を作るわけには行かないよな? などと浅い知識でどうにか整合性を作ろうとする。
そうして絞り出したのが、『とある大学で生物関連を専攻しているゼミ生が、教授とともにガラパゴス諸島でフィールドワークにでる』、というちょっと突拍子もないシチュエーションだった。
私は大学時代の課外授業は病院(医療系の心理学を選択してたため)だったのだが、さすがにどれだけ規模や功績がある大学であろうと、一つのゼミが海外で活動とかありえるのか? と思わなくもない。
まあ、無理やり理由付けするならゼミを受け持つ教授の趣味もかねて自己負担でつれてった、くらいだけどこれもまたなかなかに現実離れしている気がする。
とはいえ他にいい設定が思いつくはずもなく、『834文字』を書いたところで未完になってしまった。
展開としては、やっぱり時系列順に書いてしまうからか『ガラパゴス諸島』に入る前のシーンから描いてしまった。もちろん、事件も調査もなにも始まっていない段階である。
短編なのだから重要なシーンだけを切り抜いて書き出すべきなのだろうけど、どうしても長編的な書き方がとっさに出てしまってモノローグ短編の色が強くなってしまう。
意識して変更できればいいのだが、『即興小説』を始めると『とにかく書かなきゃ』という意識が強くなってしまって、細かいところは放り投げてしまう。
しばらく『即興小説』をやってきたが、まだまだ短編式の書き方や脳内編集ができていないらしい。これもいずれ、最適化していったらいいなぁ、と希望的観測を抱いておこう。
次に挑戦したときにきたお題は、『穢された作品』。『穢された』、なんて言葉は私の中のシリアス・鬱スイッチが入るので、あぁ~そういう系かとまず理解。
そこから必須要素(無茶ぶり)の『便器』が加わると、『学生のいじめ』が真っ先に思い浮かんだのは仕方がないことなのだ。
と、暗い作風になること確実な流れを自分で言い訳しながら、とりあえず思うがままに書いていくことにした。
『作品』、という部分からぱっと思いつきで『美術部の絵画』が浮かんだので、とりあえずそれを『穢された』状態にしてみる。
そこで『便器』を加えると、単純に『バラバラに刻まれた絵画がトイレに捨てられている』イメージが浮かんだ。これを『単純に』思い浮かべる自分がちょっとイヤ。
とまあ、これらの連想から『自他ともに認める絵の才能がある女子高生が、同じ美術部の生徒に細切れにされたコンクール受賞作をトイレで発見する』、と何ともやるせないシーンが浮かんだ。
こういう精神的な攻撃に耐性がなくなってきたのに、元からの気質がこういうのを書かせるようで『865文字』を書いて時間切れになった。
うーん、最後のオチまで考えられなかったけど、どう考えても誰も幸せにならないストーリーになったと思う。
いじめられた側はもちろん、いじめた側も主人公に対する歪んだ想いだけを抱いて増幅させただけだし。
あ、ちなみに『いじめ』が中心だからといって、『なろう』で主流の『ざまぁ』とかはしない。だってあれ、『いじめ』の『加害者』と『被害者』の立場が逆転しただけで問題解決になってないし。
現実に落とし込めば、『クラスメイトたちに拳でボコボコにされたから、たまたま拾った拳銃で報復する』ってのと同じだろう。むしろ、反撃側の方が凶悪さが増していることがままある。
まあ、根底には『因果応報』とかの考えがあって、『やりすぎな報復』に正当性を持たせるために前提となる『いじめ』も過激にしているのだろうけど。
いわゆる『ざまぁ』って、主人公目線でのカタルシスという面ではすかっとするかもしれないけど、やっぱり根本的な問題に何一つ触れていないためか、私はあまり好きになれない。
『いじめ』でも、いろいろ意見や考え方はある。『加害者が悪い』という声が大きいだろうけど、中には『被害者が悪い』と主張する人も少なくない。
それらは正解でもあるが、間違いでもある。というか、問題自体が『是か非か?』ではっきり二分できるものでもないのだ。
突き詰めれば個人の意見・価値観を表現している『小説』という手段において、『いじめ』をメインに出すなら『カタルシスの手段』ではなく、『いじめ問題に対する意見や解決案』とかを盛り込みたい――と私は考えるタイプである。
……まあ、短編でそんなもんぶち込める余裕があるわけないんだけど。本気でやるなら、腰を据えて時間をかけて考えをまとめたいところだ。
うーん、こういうのも『意識高い系自分縛り』になるんだろうか? せっせと積み上げるハードルの要因と思えば、徐々にはずしていかないとなぁ、なんて思うのだけど。
あと一週間くらいで十月になりますけど、果たしてまた小説を書き始めた時に何か効果が現れるのか不安になってきました。
むしろ書けないのが悪化したりして……悪い方へ予想してしまう考え方は、たぶん一生直らないんだろうなぁ……。




