549回目 2020/9/14
今回も二敗で、お題の難易度が高めだったように思います。
というわけで、本日一回目は『破天荒なクリスマス』というお題から始まった。
なお、意味の誤読を防ぐために調べてみると、『破天荒』とは『前代未聞』って言い換えられる言葉らしい。ちなみに、原義は中国の故事成語にあたるっぽい。
そこに必須要素(無茶ぶり)の『やかん』が加わって執筆することになるのだが、改めて読み直したところ『やかん』要素が一切入っていなかったことが判明。
おそらく『破天荒なクリスマス』に意識が持って行かれてしまい、『やかん』まで気が回らなかったのだろう。『やかん』、どのタイミングで出せばいいか迷子だったのもある。
というのも、あらすじが『インターネット匿名掲示板で立てられた「クリスマスを過ごす恋人たちの気分を台無しにするイベントを考えるスレ」の計画立案と実行まで』を描こうとしていたからだ。
ただ、私はいわゆる5ch(旧・にちゃんねる)系には足を踏み入れたことはなく、ユーチューブの動画から過去に大きく話題になった出来事を知った程度の理解しかない。
それでもこの内容に行き着いたのは、たぶんその動画を見たのがつい先日だったからに違いない。こんな形で見聞きした情報がアウトプットされるのか、と冷静になって考えたら面白く思う。
ともあれ、『762文字』とレス風の会話をつなげていったのだが、最終的には未完で幕を閉じる。
『なろう』の小説(特にVRMMO系)でちょこちょこ見かける、いわゆる『掲示板回』のようなものが私の引き出しの限界であって、元の掲示板を追ったことがないと雰囲気を作るのも難しかった。
挑戦するのは悪いことではないのだろうけど、もうちょっと案牌なネタに手を出せばよかったと思っている。『やかん』も入れられなかったし。
それに、『破天荒なクリスマス』って題材がまず難しい。要は『今まで誰も見たことも聞いたこともないクリスマスを書け』、って指定と同じ意味なのだ。そもそものハードルが高い。
『破天荒』と聞いたら、テレビのバラエティにかぶれている私にとって『平成○ブシコブシの吉村さん』のキャッチフレーズ、くらいしか思い浮かばないのも厳しかった。
だってあの人、本来の意味での『破天荒』とは違う『定番のおふざけキャラ』って印象の方が強いし。それなら『○生爆弾のくっきーさん』の方がよほど『破天荒』している。だいたいこちらの理解を越えるボケをかましてくるし。
テレビで見るお笑い芸人の感想はさておき、なじみのない『破天荒』というワードのあつかいに苦慮したのは間違いない。
こういう経験をすると、もっと『実用可能な言葉』を増やしたいなぁ、なんて欲が出てしまう。意味を自分なりにかみ砕いて理解し、原義的・誤訳現代語的(※的を得る、役不足など本来の意味とは異なる使い方が浸透した現代語のことを指した、作者が作った便宜上の表現)・比喩的にもあつかえたらいうことはない。
まあ、私の中で自由にあつかえそうな日本語って、あんまり多くないんだけど。それこそ、短歌や俳句のような文字の見方を意識しながら、短編・長編を書いていたりするし。
そういうところをもう少し肩の力を抜けたらなぁ、とは思うのだが……なかなかどうして、自分のことながら難しいものだ。
なんて、また自分の性格に関するグチが始まってしまったところで二回目の挑戦を見返してみる。
お題は『アブノーマルな病気』と、これまた考えさせられるものが与えられた。
大学生の時は心理学を学び、中でも精神疾患についての授業を多く受けてきた身としては、『アブノーマルな病気』の候補にまず『精神病』が思い浮かんでしまった。
が、『アブノーマル』というくらい珍しく、かつインパクトがあるような病名がぜんぜん出てこない。ぶっちゃけ、特別偏差値が高い大学でもなければ、学習意欲もそこまで高いとは言い難かったため、そこまで病気を覚えていないのだ。
いちおう、私の卒業論文でとりあつかった『強迫性障害』くらいは多少覚えているものの、『アブノーマル』と呼べるほどマイナーでもないので今回は使えない。
それに、こういうお題にそった病気は『○界仰天ニュース』とかで取り上げられることの方が多い。毎週視聴しているわけではないし、こういうので見聞きした病気は理解が浅くなかなか思い出せないので、こちらも使えない。
加えて、必須要素(無茶ぶり)が『社会に対する不満』と、ストレートに社会派な作品を要求されてしまったので、それっぽい病気を考えなければ……なんて考えにとらわれてしまった。
迷いに迷った末、『精神剥離病』という架空の病気をでっちあげ、『他の人からは理解されない病気について、主人公が残した体験記』という日記風の小説を書いていた。
変な形式でやり始めたのに、『859文字』も書けたのは我ながらよくやったと思いつつ、終わりが見えない作業だったので時間切れで終了した。
これの書き方は、今になって思えばユーチューブで『○イオハザード7』のゲーム実況を見ている影響が強かったと思われる。
世界観の補強として、ちょいちょい思わせぶりな言葉がかかれた日記やメモなども見つかるホラーゲームなのは有名だろう。おそらく、その雰囲気を無意識に真似したんだと考えられる。
まあ、やっぱりこれも付け焼き刃だったのであくまで『それっぽい』だけだったのだが。手記とは言っても『○イオ』と違って冷静な場所で書いているため、走り書きのような文章なんてほぼならないし。
……そこらへんは別に追求しなくてもいい部分だとは思うのだが、自己分析になると『元ネタとの違い』が気になってくるのは本当によけいな気づきだと思う。
ぶっちゃけ、『だからどうした?』案件がほとんどなのだ。創作はアレンジがかかっていれば割と許される自由度があるし、よけいなことに時間を割くならより面白く書け、って話でもある。
ただ自分の書いた劣化コピーと比較しようと考えてしまった場合、どうしても『元ネタ』の存在が気になってしまうのは避けられない。
『オマージュ』と『アレンジ』と『パクリ』は同じようで中身は違う。この世の創作はほぼ必ず『影響を受けた元ネタ』が存在するため、『パクリ』にならないか? は、常に作者が神経をとがらせている問題だろう。
そうした観点から気になってしまうと、細かすぎる部分でも見つけてアラを探してしまうのをやめられなくなる。……こんなことを書いている思考も時間も無意味だと、頭では理解しているはずなのに。
あー、あんまりドツボにはまるとよくないので、ここらへんでわちゃわちゃした思索の海から逃げようと思う。
日常の何でもないところからでも、連想に次ぐ連想で意味不明な結論に至る思考回路、本当にどうにかならないものか……?
年を追うごとにつれて、思考がごちゃごちゃしていく感覚がひどくなっている気がします。これは以前も話題にした『HSP傾向』も同様に強くなっている気がするんですよね。
私が生まれてから持つ本来の気質、のはずなんですけど、おっさんになってからより過敏になるのってどうなの? と不思議に思います。こういうとき、『生きるのが下手だなぁ』なんて思ってしまいがちですね。




