52回目 2019/5/6
内容も意味も一貫性も特に定めなければ、毎日更新は可能なんですね。
拙作を読んでもらったらわかりやすいかもしれないが、私は結構言葉遊びが好きだ。
よくやるのがルビ振り。
普段聞き慣れないような難しい単語に普段使うような言葉の読みを入れたり、意味は分かるがダブルミーニング(=二重の意味付け)としてルビをつけたりしている。
というのも、いわゆる『発想を飛ばす』ことを楽しむ癖があるからだ。
やっていることは『一人しりとり』っぽい『連想ゲーム』でしかないが。
この作品内でも少しやった時期があったが、一つの単語をお題にいろんな属性や関連語を膨らませ、最終的に原型がなくなればくすりと笑える。
それをストーリー仕立てにしてしまえば、他人が面白いかどうかはさておき、一つの物語を作ることができる。ここでやったことがあるのは無機物の擬人化ばかりだったが、あれはあれで楽しかった。
このように、誰かと遊ぶよりも一人で遊ぶ方が好きで気楽な私にとって、時間をつぶせる手段として割と重宝する。
これはおそらく、私に特有な書き方――個性かもしれない。
ほぼランキング作品のみとはいえ、なろうの作品を読んでいて私のような書き方をする人はあまり見たことがないからだ。
いいか悪いかはさておき、(私が読んできた範囲で)他の方々は『テンプレを下敷きにした設定の転換・飛躍』をするのが多い印象だ。中心の軸が『設定』なのである。
私の場合、できあがった自作を読み返すと『登場人物の性格・人格を転換・飛躍』する傾向があるように思える。中心があくまで『キャラクター』にある。
わかりやすいたとえかはわからないが、『事件は会議室で起きているんじゃない! 現場で起こっているんだ!!』みたいなことだろうか?
会議室(=設定)で事件(=物語)を語るよりも、実際にその場で動いている現場(=登場人物)の方が事件をよく知っている、という考えだ。
マーケティング的な話でもあるかもしれない。(なお、私は経済学も経営学も素人であるため、雰囲気で書いている)
ビッグデータから集める『数字だけの傾向』から需要を探るか、実際に店舗を『利用した人々の意見』から需要を探るか、みたいな?
まあ、どちらがよくてどちらが悪い、という話でもない。
そもそも、量的データと質的データは両方加味した上で使用するものだし、片方だけですべてがわかれば世の中苦労しない。
量的データには『ある特定集団の有する統計的に優位な傾向』を知る上でとても便利だ。日本人は○○が好きとか、島根県(※特に他意はない)は○○な人が多いとか、そういう話だ。
質的データには『より狭い集団が有するきわめて特徴的な傾向』を浮き彫りにしやすい。俗に言う『マニア』の傾向・分類を行う際に便利であり、『個人的な趣向』がきわだつものだ。
なので、そう考えると私は『質的データを用いた『超個人主義的』ストーリー』を好む書き方をしているといえるだろう。
言い換えれば、なろうテンプレは『量的データを用いた『社会通俗的』ストーリー』に従っているといえるかもしれない。
要するに、私には『社会にあわせる努力』が足りない、というだけの話だ。
成功するためには行動しなければ始まらない。
自己啓発系でよく見る文言ですし、当たり前ではあります。
そして、当たり前を続けることが一番難しいのもまた、当たり前です。
最後に、人生で一番つきあいが長いはずの『自分』が一番わからないのが、私の当たり前です。
当たり前って、『できない誰かがいる』はずなのに『誰でもできる』って言葉なんですよね。
だからどうした、って話ですけど。




