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51回目 2019/5/5

 なろう系について、他者(WEB)の分析や考察を読んでいるとますます、私はなろうに向いていないと実感します。


 とあるネットの記事を読んで、思ったことを書いてみる。


 なろうにおいて、ランキング的な(あるいは商業的な)人気を得るためには『日常系の延長』を目指すことが重要らしい。


 つまり、やおい(山なし・落ちなし・意味なし)作品ということだろうか?


 必要なのは、毎日をちょっと幸せにするゆるやかな面白さと安心感で、日頃のストレスで疲弊した精神を(いや)すための息抜き的な娯楽なのだという。


 なので、なろうランキングを目指すなら週刊誌の長編マンガではなく、新聞の四コママンガに近い作品を目指すべきといえるかもしれない。


 ドラゴ○ボールやワ○ピースではなく、ちび○子ちゃんとかサ○エさんがたどった道こそが、なろうトレンドにおける理想型であり到達点なのだろう。


 ただし、ピーナッツ(チャーリー・ブラウンやスヌーピーで有名な作品)的なウィットに富む作品はやめておいた方がいい。成功のためには筆者に相当な技量が必要で、挫折(ざせつ)しやすいからだ。


 まあ、今さらマンガでたとえなくとも、いろんなところで精神ポ○ノなどと揶揄(やゆ)されているのだが……。(利用者として、グレーエロ同人みたいな側面を完全否定はできない)


 話をその記事に戻そう。


 なろうと競合するのはラノベではなくスマホゲームという見解があった。


 奪いあうのは金銭ではなく、人々が日常で消費する『時間』――つまり、どれだけ読者を引き寄せ自作品に『時間を使わせるか』が重要らしい。(私の言い方が少々悪いが)


 人々に『時間』を使わせれば使わせるほど、その作品への『愛着』が生まれると同時に。


 感想欄という筆者と読者をつなぐ場で作品を『一緒に育てるライブ感』が、ファンの獲得に一役買っているらしい。(この作品はワシが育てた! という言葉で参加意識の存在を挙げていた)


 いわば『信用の株式』、といえるだろうか? 『時間と応援』(=お金)を集めることで、筆者(=事業主)は自分の作品(=会社)を東証一部上場(=書籍化)させる、みたいな。


 確かに、なろうの書籍化における商業的な強みが『目に見えた読者(ファン)の存在』であり、新人賞受賞作家のように『0から読者(ファン)を集めるスタート』と比べ見込み利益が高い。


 購買層である読者(ファン)が(一部とはいえ)編集の目としても機能している作品だから、『愛着(すき)』の気持ちを集める形で売り上げをのばしているのだろう。


 そう言われれば、確かにアイドル育成ゲームのような側面があり、消費時間における課金額はスマホゲームよりお得感がある。(私はスマホゲーム無課金勢……というか今はまったくしないけれど)


 だがやはり、いわゆる『ストレス回』についての言及もあった。


 アクセス解析という目に見える数字からわかる読者離れ傾向と、それを避けようとする作者の努力で発達したノーストレス展開という手法だ。


『毎日のぞく暇つぶし=なろう作品』であると同時に、『素人投稿=投稿停止(エターナル)不安=ストレス展開を解消する保証がない』という側面が、生き残り戦略として採用された理由だろう。


 なので、読者が『読書』で一番求めている『読後の快感(カタルシス)』を、たとえ規模が小さくとも『一話単位』で用意するのが、なろうにおいて『もっとも読者(ファン)を大切にする筆者』なのだ。


『なろう=SNS色の強いコンテンツ』という要素が、一般書籍との大きな違いを生んだ。


読後の快感(カタルシス)』の『バラ売り=なろう』と『セット売り=一般書籍』という、コンテンツにおける特色の分岐である。


 こうした提供方法の違いから、読者が『期待や愛着』を寄せる対象が微妙に異なっている可能性が見えてくる。


 なろう読者は『作品』に評価を寄せがちで、一般読者は『作者』に評価を寄せる傾向にあるのだ。


 考えてみれば当然で、なろう作品は『起承転結』ではなく『起承承承』などとも言われるほど、展開の『転換(へんか)』も『結末(おわり)』も期待されていない。


 それは投稿作品に比べて完結作品が驚くほど少ないことからも、なろう利用者にとっては暗黙の了解に似た諦めが常に存在していると思われる。(かくいう私も、連載をエタらせている不届き者である)


 そして、あくまで私のイメージだが、なろう読者は主人公の『物語(ドラマ)』よりも『状況(シチュエーション)』をより楽しみとして重視している気がする。


 最初から最後まで区切りがきちんと用意された一般書籍とは違い、最後まで読める可能性が低い作品群なのだから、楽しみ方も『結末(みらい)』より『活劇(げんざい)』が中心になるのは必然かもしれない。


 さらに、短期間で複数の作品を投稿し、人気が上向きそうな作品だけ更新するという、筆者の商業進出を狙った『ランキング生存戦略』が確立したことも一因だろう。


 ただでさえ長編は途中で挫折(ざせつ)する筆者が多いことに加え、序盤から完結に見切りをつける筆者も多くなったため、『未完結』作品は増殖しよけいに読者は『完結』を期待できなくなる。


 そうして未完作品が積み重なった状態が当たり前となり、古参作者も新規作者も『未完結への妥協』が生まれ『完結させる技術』が身につかなくなった。(テンプレ大喜利と揶揄(やゆ)される原因か?)


 こうして、ごく一部の『うまく完結させられる作者』を除けば、ほとんどの作品が『刹那(いま)を楽しむ物語』として読者に浸透したのだろう。


 私の解釈としては、大まかにそうなった。(だいぶデータ的根拠のない私見が上乗せされたが……)


 内容のほとんどが、なろうに長くいれば経験則として理解できる部分ではあるのだろう。今さら感が強い記述になってしまった気はする。


 とはいえ、私が私の理解をこうして出力することは無駄ではない。


 ……書いているうちに、連載作品を早く書かないと、という焦燥感が芽生えたからだ。


 自分のケツは自分でたたいて、『作品を始めた責任』をとらなければ。


 なお、私がダメな部分は長編ストーリーを『なろう(日常系)方式』ではなく、『一般書籍(起承転結)方式』で進める『読者に寄り添わない作者』であることだ。


(おまけに、理想が『ノーストレス展開』ではなく『神話類型展開(=乗り越える壁の登場→冒険と成長→壁の破壊・突破→別の誰かにとっての乗り越える壁となる、といった主人公の成長と役割の変遷(へんせん)を追う『起承転結』)』であることも、なろう需要とは即していない)


 このやり方で読者を集めるには、『短編連作型投稿(=一話の文字数を絞って投稿頻度を上げる)』よりも、『全編脱稿(だっこう)型投稿(=物語をすべて書き上げてから毎日投稿)』の採用が理想といえる。


 私の連載作品は一応、1章と2章までは完成させて投稿したのだが、それ以降はコツコツ書き溜め投稿へ移行し、やがてエタってしまった。


 こんなことなら、完全に『全編脱稿(だっこう)型投稿』で全部書いてから投稿すれば良かっただろうか……?(なお、推定でも1000万文字を越えそうな、壁が高すぎる構想長編)


 まあ、ぼちぼちがんばろう。


 でも、なろうから離れられません。


 ここのフォーマットに慣れきってしまいましたから……。


 カクヨムも、アカウントは持ってますが捨てアカ以上に稼働率は死んでますしね……。


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