504回目 2020/7/31
今回は一勝一敗でしたが、わりかしどちらも楽しく書けた気がします。
今回一発目のお題は『彼女の外資系企業』と、取っつきにくさではかなり上位に食い込むキーワードをぶん投げられた。
言わずもがな、私の生涯で『外資系企業』なんてものと関わりなどあるはずもなく、どういった業種に多いのかすらわからない。
もう『彼女』の箱――所属する組織って程度に収めて話を進めるしかない。詳細がわからないなら詳細を描写しなければいい、なんて消極的な対処でごまかす方針だ。
そんな相性悪めのお題と組み合わされた必須要素(無茶ぶり)は……『バナナの皮』。そう、まさかのジョークアイテム(?)。
そもそも『バナナの皮』なんて小説に登場させたことすらない。どういう状況だ? これは私にコメディを書けという啓示なのか? 厄介な神様もいたものである。
と、いろいろ文句を言ってもいつものごとく書かなきゃならないこの状況。とりあえず、それっぽいことを何とか書いていかなければ、と筆を進めてみた私。
結果だけを見れば『1006文字』と、文字数では善戦したものの未完に終わった。仕方ない。オチがはっきり見えない中、文字数だけがかさんでいったのだから。
大筋の流れとしては、『彼女のつとめる外資系企業でバナナの皮が原因で事故が発生した』という、今書いてもぶっ飛んでいるストーリーになった。
状況はコメディながら、登場人物たちはややシリアスな感じで話を進めていたため、雰囲気的には中途半端だったと思う。
それと未完に終わったことからして、まだちょっとオチを遠い方に見据えてしまっている部分はあるのだろう。もう少し近い位置にゴールテープを設定しないと。
まあ、次がある。ちょっとずつ調整していこう。
と、そんなことを考えながら次に開いたときに見えたお題は、『絶望的な雑草』。まさか、こんな日本語と一生のうちに出会えるとは思っていなかった。
『絶望的な雑草』……、そりゃあ、農業従事者にとっては抜いても抜いても生えてきやがるあんちくしょうは、憎悪とともに絶望の対象でもあるだろう。
放置してたら農作物の栄養を奪うし、かといって丁寧に除去していってもいずれ必ず生えてくるいたちごっこを演じさせられる羽目になる。そりゃあ殺意も湧くだろう。(個人の感想です)
なんか普通に『生活のために農家を継いだ人』を描くだけでもそれっぽくできそうな気がしていたが、そうは問屋がおろさないのが必須要素(無茶ぶり)という縛りである。
さて、今回はどのような足の引っ張られ方をされたかというと……『この作品を自分の最高傑作にすること』。
このサイトは何を言っているのか? 本気で私はそう考えてしまった。無茶を言うなよ。『15分』で『最高傑作』ができたら心を病んでいないっつの。
なんかこう、今までにない無茶ぶりの角度に思わずいらっとしてしまったが、よくよく考えたら『今自分ができる最高の傑作』を手がけていくのが、健全なクリエイター像であるのは間違いない。
あんまり深刻に捉えすぎたらドツボにはまる無茶ぶりだが、ライトに捉えれば『いつもとやっていることは変わりない』ということでもある。
なのでせめて、『最高傑作』となる前提として『完結』を確実に行うためにフリック操作をしていった私。
途中でゲシュタルト崩壊を起こしたのか、文字を打つのに手間取った瞬間がありつつ、『927文字』を書いて完結させることができた。
執筆後に読み直してみると、意外に良さげなものができたと思えた。人はやればそこそこやれるものなのかもしれない。
大まかな流れは『素行不良の人間が死後、己が積み重ねてきた些細な悪業を草むしりという作業で見直す』、という仏教色強めの短編になった。
即興で思いついたにしては、そこそこそれっぽい短編にはなったと思う。少なくとも作中の雰囲気は個人的に気に入っているものにできた。
反省点があるとすれば、登場人物の男の罵倒ボキャブラリーが貧弱だったことか。描写の軸足を世界観や状況説明に重きを置いていたため、登場人物へのクローズアップが浅かった自覚はある。
これは元々の私の書き方が戻った感覚がした。小説を書き始めた頃はキャラクターを確立させるのが苦手で、いわば『俳優の演技』ではなく『配役』を描いている感じになってしまっていた。
作劇をメインに据えていたことで、キャラクターの希薄化が生じたのだろう。今でもどちらかに軸を置けば、どちらかをおろそかにしてしまいがちなので、改善できた部分でもない。
とはいえ、我ながら昔のスタイルが嫌いではないと気づけたのはいいことなのか悪いことなのか。小説でキャラ立ちをさせるため、大学は心理学系の学部を選んだのに。
まあ、そういうスタイルの方が栄える作品ジャンルもあるだろう(それこそ群像劇とか)から、自分の個性として受け入れた方が無難だ。
ダメだと思ったから悪し様に消してしまうのももったいない。むしろどう小説表現として活かすかを考えた方が健全だろう。
というわけで、これからも『自分の面白い』を大事にしたいと思えた一幕だった。……これが話のオチで本当にいいのか、ちょっとよくわからないけど。
感覚的な話になりますが、着地点をしっかり見定めよう! と思えば思うほど着地点が見えづらくなり、逆になんとなく書いていると気づけば着地点に立っている、みたいなことありませんか?
『即興小説』をやっていると、あくまで掌編・短編に限っては、何となく決着したものの方が据わりがよかったりします。不思議ですね。




