486回目 2020/7/13
いやぁ、参りましたね。自分の見識の狭さでできた隙をつかれた気分になりました。
いつものように『即興小説トレーニング』で執筆画面に飛んだとき、私は初めて『オワタw(古い)』と思った。
そう確信に至ったお題が『蓋然性のある野球』……ホワッツ、がいぜんせい? である。
蓋然とは『ある程度確実なこと』、と調べたら出てきた。文字を範囲指定して簡易的に検索した結果であるが、なぜか『性』の部分だけなかなか範囲指定できず、ニュアンスで話を書いていくことに。
なお、執筆後に蓋然性を辞書で調べてみると、以下のような記述があった。
『ある事柄が起こる確実性の度合い。また、ある事柄が真である確実性の度合い。確からしさ。プロバビリティー。(『明鏡国語辞典MX』より引用抜粋)』
――いや、どういうことやねん。って話ですわ。(おっと、ついお国の言葉が……)
まあ『蓋然』がほぼ『必然』と言い換えられる言葉だったので、身近な言葉に変換すると『確実性』とかそのあたりだろう。
言葉自体は知っていても、私の使う言葉としてのボキャブラリーに入っていない単語は扱いが非常に難しい。それがお題とか、ふわっとニュアンスでやるしかない。
しかも、その後にくっついてきたのが『野球』だ。スポーツなど生まれてこの方いっさいの興味を抱いたことのないジャンルである。
そんな私が、『野球』を題材に書く? ちゃんちゃらおかしくて鼻で笑ってしまいましたわ!(おっと、つい縁もゆかりもない京ことばのイントネーションが……)
私が始まった瞬間試合をあきらめたのは、『難解な言葉』に加えて『縁遠いお題』が重なった結果だった。もはや頭が真っ白になる感覚が体になじみつつある。
ちなみに、『必須要素(無茶ぶり)』は『オタク』だった。なにげに私への『オタク』採用率が高い。一週間もしない内に二回目だぞ? 私に『オタク』系作家になれと?
と、内心では文句たらたらながらルールに従い、ぱっと思いついたシーンをフリック操作でぽちぽちと小説に起こしていった私。
前回の反省点であった『テンポの改善』は、残念ながら意識する暇さえなかった。もう書くことだけに必死なので、よけいな手間をかける余裕がない。
今回もまた私にとってやりやすい心情描写を中心に、『15分』で『1022文字』の短編を書くことができた。絶対無理だと思ったお題でも、千文字越えができたのは慣れがでてきた証拠だろうか?
一度読み直してみたら、目立った誤字や描写の矛盾などもなく、ミスは少ないけど面白味も少ない感じの内容ができあがっていた。
……まあ、クオリティに関しては半ば度外視だ。私の腕だと『15分』でできるのは名作ではなく迷作のみである。話としてまとめることができた、それだけでも大したものだ。それくらいの自画自賛は許されよう。
あとは、場面転換というほどではないにせよ、作品内で舞台・場所を変更することもできた。最後のちょっとだけで言うほど効果的な演出ができたわけではないが、意識していた部分が挟めたことは大きい。
ただし、少し気になったのは『会話』だろうか。
今回、実際の台詞にあてがう「」(かぎかっこ)を使ったのは一度だけだった。強調の意味合いや過去の登場人物の台詞にあてがう『』(二重かぎかっこ)は何度か使用したものの、相変わらず台詞が少ない。
私の弱点になりうる『テンポの悪さ』の主原因だが、もう少し考えてみると今まで『即興小説』では登場人物が『一人』に設定することが多かった。それも、周囲に人がいない状態ばかり。
そりゃあ『会話シーン』なんてできないはずだ。独り言か内心でこぼす言葉しか描写できないんだから。
なので、次以降は『登場人物を二人以上にする』ことを目標にしてみよう。ぶっちゃけ、眠気がすごい状態で始めると目標設定を思い出せないが、何とか意識してみたいと思う。
もしかしたら、自分の深層心理がこういう形ででているのかなぁ、なんて考えもよぎった結果だった。
私にとって小説を書くことって『自己表現』であり『一人での作業』なんですよね。『自問自答のごっこ遊び』と言ってもいいかもしれません。
だから、ふと思いつくシチュエーションが『自己を省みる』とか、『現状を分析して文句を言う』とか、内省的なものばかりになってしまうのでしょう。
やっぱり『即興小説』は、無意識の癖とか傾向とかいろいろ浮き彫りになりやすいですね。勉強になります。
さし当たって、私は小説に人を増やさないと。独白ばかりの独り舞台ばかりになってしまいまいそうです。




