480回目 2020/7/7
そろそろ本当に執筆の方へ心を傾けたいので、自分のためだけの自己暗示を書いていきます。
まっさらな気持ちで書けばいい。それこそ、自分の小説に読者がいなかった頃のような気持ちで。
気楽でバカになればいい。細かいことを気にしなくていいように。
どうやってもいろんな声や評価が気になってしまうのなら、せめて鈍くなったフリをしたらいい。敏感に反応し続けて、びくびくする人生がしんどいだけなのは自分が一番よく知っている。
私は何も背負っていない。今も長編の続きを待ってくださっている読者様はいるだろうが、それは決して『義務』ではない。商業的な利益を得ているわけでもないのだから。
酷評がきてもかまわない。むしろ、修正点を見つけられれば諸手を挙げて喜ぶべきだ。こちらの人格を攻撃したり、どうしても変えられない部分を指摘されれば、聞き流してしまえばいい。
私が小説を書き始めたのは、『自由に物語を出力するため』だ。いまだプロでもない立場の身で、『誰かのための物語』を書けるだけの縛りは存在しない。
私は『自由』だ。これまでもいま現在も、誰かに何かを強要されているわけではない。何をしてもいいし、何を表現しても私の勝手なのだ。
私を縛り付けていたのは、私自身の心だけ。あれが怖い、これが怖いと、目に映るすべてにおびえて後込みしている弱い心だけだ。
予期不安なんて杞憂にすぎない。何をしてもすべてが悪い方向へ倒れていくなんてありえない。変化のない状態が心地いいのは十分理解できるが、それだけではどこにも行けない。前に進めない。
何より、私の中にたまっていく日の目を見ていない物語たちが腐っていくのがもったいない。私の古い価値観を放出して、新しい価値観を受け入れるだけの余裕も欲しい。
評価されなくてもいい。むしろ、こっそり細々とやっていきたいと思いながら始めたはずだ。『なろう』に投稿を始めてからずっと、『注目されたらどうしよう』なんて頭お花菜畑な不安にさいなまれていたのは誰だ?
私は無名だ。どこにでもいる素人作家だ。はいては捨てるほどいる消耗品としてのストーリーテラーの一人でしかない。
今の私に価値などない。だから今からでも、私の価値は作っていける。作っていい。無価値なままの安心にいるだけでは、何も変えられない。変わらない。
私には価値がある。少なくとも、こうして文字を吐き出せるくらいには役割がある。自分の心だけでなく、人の心を動かせるかどうかは、私がどう自分の価値を作っていくかにかかっている。
不安を期待で塗りつぶせ。恐怖を興奮で押さえつけろ。予想される辛苦は執筆で得られる快感で忘れてしまえ。
そうだ、書くことは私にとって唯一与えられた『自由』で『歓楽』だ。私が私でいていい価値だ。このためだけに生きてもいいと言ってもいいくらいのものだ。
あきらめるな。食らいつけ。しがみついてでも執着しろ。
足りない技術なんてすぐに必要ない。書いていればいずれ身についていく。それよりも、未熟を理由に執筆を惜しんで作品を腐らせる方にこそ心配しろ。
価値観は常に流動していく。仮にも流行を描く『ラノベ』を書いているつもりなら、昔の価値観は形にして過去においていけ。
ありがたがるネタなんてない。気づけば勝手に降ってくる。何も手を着けられない今ですら、新しく書きたいストーリーは浮かんでくる。この勢いを止めることにこそ危機感を抱くべきだ。
人はいずれ死ぬ。それまでにどれだけ頭の中にある物語を吐き出せるか。寿命との戦いだ。光陰矢のごとし、時間は待ってくれない。金でも買えない。明日やるんじゃなくて、今やらないと間に合わない。
生き急がないといけない。気づけば若さもなくなっている。老獪ぶって臆病さだけを育てるだけの時間はもういいだろう。
体は老いても、頭の中は若く幼くいればいい。年齢相応なんてもう無理な振る舞いはあきらめろ。バカで愚かで下らない生き方でいい。
自分に価値を示す。誰かにではなく、私自身が認める価値を。私が積み上げてきたものが石ではなく、水晶程度の輝きはあったのだと、死の直前には認めてやるために。
一人のおっさんの独白なんて眺めても面白くないでしょうに、後書きまでたどり着いたあなたは『勇者』ですね。
……おお?! 勇者よ、(作者のモノローグを)ここまで読んでしまうとは聞いてない!!




