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472回目 2020/6/29

 小説で表現するコメディ描写のありがたさと難しさです。


 ふと、『なろう』におけるコメディジャンルの作品をいくつか見てみた。普段はあまり目を通したりしないが、たまにはいいかと日刊ランキングから適当にピックアップして開いてみる。


 結果は……まあ、私の感性にはあまり合わない作品が多かった。一昔前の私なら別かもしれないが、少なくとも今の私にとっては特別刺さる作品には当たらなかった。


 これは単純に、笑いの感性におけるツボの違いでしかない。ハマるかハマらないかは、ほとんど育った環境やお笑い・バラエティなどのコンテンツにどれだけ触れているか、知識があるかで変わってくる。


 大ざっぱにまとめてしまえば、『運』でしかない。正直、コメディ作品は『あらすじ』から読みとれるお笑い的要素は少ないと思う。


 小説で純粋に表現できるコメディは、表現の珍妙な組み合わせや変わった言い回しなど、文章そのものの面白さや想像したときのハチャメチャさにある、と考えているためだ。


 こういう部分がうまいと、私が好んで書くシリアスやダークな作風であっても、緊張感を程良くほぐす清涼剤として利用できる。


 大笑いがなくとも、くすっとできるだけで、真面目で糸が張りつめたような空気感から解放され、多くの人に『まだ続きを読める・読みたい』と思ってもらいやすくなる。これは大きい。


 その表現を突き詰めていけば、単純なコメディ作品としても優秀なものができるだろう。面白いギャグ漫画なんかは、コミカルな絵柄は元より、キャラクターから飛び出す秀逸で鋭いボケやツッコミの『ワードセンス』が光った作品ほど面白く感じるのは、おそらく私だけではあるまい。


 ただ、そうしたやり方で文章を面白くできるのは一握りの人だけだろう。大半の人は――もちろん私も含まれるが――『コメディ』や『ギャグ』をしたいとなると『メタネタ』や『パロネタ』に頼ってしまうからだ。


 ここで私が意図する『メタネタ』とは『作者・読者が持つ共通認識』を利用したいわゆる『お約束』的な笑いであり、『パロネタ』とは『他作品や時事関連などの元ネタが存在する』笑いである。


(もしかしたら当てはめた言葉と意味とが異なる見当違いなラベリングをしているかもしれないが、ここでは便宜上『メタネタ・パロネタ』の定義を上記のまま話を進めていく)


『メタネタ』は『なろうテンプレ』の流用や逆張り、という例がわかりやすいか。一定の支持を得たストーリー展開を参考に作る、あるいは展開に少しひねりを加えて作ると、それだけで『テンプレ』という『お約束』を面白さの武器にできる。


 ただ『パロネタ』の場合、使い方を間違えると危険なものでもある。元ネタ・原作がある他作品のネタを利用するのは著作権的にアウトを食らう可能性があり、時事ネタだと旬がすぎれば『何言ってんだ、こいつ?』状態になりやすい。


 共通して言えることは、『作者の個性によるお笑い要素にはならない』ということだ。


 先人の残した功績に乗っかったり、ニュースなど多くの人が知っているだろう情報を茶化したりするのは、比較的誰でも簡単にできる手法な上、目に届く反応もそれなりに大きい。


 その反面、飽きられる速度もまたとてつもなく早い。文字通り『他人のふんどしで相撲を取った』だけなので、結局は『元ネタ』が有名・優秀なだけで『作者・作品』自体の訴求(そきゅう)力がないからだ。


 そのことを強く意識したものがある――ネットに突如として出現した『クソデカ羅生門(らしょうもん)』である。


 名前だけは聞いたことがありながら、つい先日まで読んだことがなかった私も一通り読んでみた。いろいろ事前に見聞きした評判に違わず、たしかに『面白い』作品だった。


 こちらは言わずもがな、芥川龍之介が書いた『羅生門(らしょうもん)』を元ネタにした、私の考えで言う『パロネタ』で作られたものである。


 内容は、原作『羅生門(らしょうもん)』の表現をひたすらスケールを大きく誇張するという、ピン芸人の『○リウッドザコシショウ』が得意とする『誇張モノマネ』に近い作りになっている。


 その誇張表現も現代に即した簡易な言葉が多く使われ、昔の難しい漢字が使用されてやや読みにくい原文の『とっつきにくさ』をかなり和らげている。


 だけでなく、ところどころにスケールが大きすぎる独特な装飾表現が、不意打ちのごとく現れるため油断できない楽しさがあった。『七〇〇〇万段の階段』とか『象くらい大きい蟋蟀(こおろぎ)』って何だよ、と。


 ちなみに、私の場合コーヒーを飲みながらスマホで拝読したため、危うく画面にコーヒーをぶっかけそうになった。肝臓(レバー)に効く表現がたびたびあるので、読まれる場合は飲み物に注意することをオススメする。


 この『クソデカ羅生門(らしょうもん)』は、著作権が切れた有名タイトルを下地にしているものの、『コメディ』部分のほとんどを『作者の文章力』で作り上げている好例だと思った。


 ただひたすらに『スケールを大きくする』という力業の一点突破でありながら、読み手に単調さを覚えさせないぶっ飛んだ『ワードセンス』が、『クソデカ羅生門(らしょうもん)』を『コメディ作品』として成立させている。


 一読すればとてもバカっぽく見えるのに、用いられた技術はとても秀逸で本当に感心してしまった。


 私もいつか、文章そのものでおかしさや面白さを表現できるような作家になりたいものだ。


『言葉』で人を『笑わせる』って、実際とても難しいことなんですよね。誰でもわかる言葉でありながら、大勢の人の意表をつく表現を選ぶ必要があるのですから。


 劇場でネタを披露したり、テレビのバラエティで活躍したりする芸人さんのすごさがわかります。前者は事前に作り上げられますが、後者はその場の思いつきと瞬発力で笑わせないといけないんですから、大変ですよ。


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― 新着の感想 ―
[一言] クソデカ羅生門読みましたよ。 Ultimet-Sentimentalism of the godsでもうダメでした。途中で突っ込みいれながら読んでましたよ。 コメディは難しいですよね。本当に…
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