471回目 2020/6/28
引き続き、自分へ言い聞かせるために書いていきます。
『うまく』書こうとして、『わかりにくい』文章になってはいないだろうか?
リハビリもかねて、少しずつ小説を書こうとしている中で、どこか昔に書いてきたものと比べて言い回しが気取ってきたというか、複雑にしようとしている気がしている。
シンプルイズベストともいう。回りくどくて、謎かけのような『うまさ』は小説にあまり重要ではない。ラノベを書こうとしているのならば、むしろ邪魔になるだろう。
もしかすると、純文学のつもりで書いた短編からの影響が残っているのかもしれない。今の自分の技量を試そうとするあまり、読む側のことを意識から外してはいないか?
……まあ、今は『恒常的に書く』ことの方が大事なので、最悪『読む側』は意識から外しておいてもかまわないだろうが、いずれ『読んでほしい』のならばすべてを無視してはいけない。
むしろ、注意すべきは『文章のうまさ』よりも『文章の読みやすさ』だったはずだ。『うまさ』にとらわれすぎては、娯楽小説に思われなくなってしまう。
気楽に書こう。あまり考えすぎず、『楽しい』を優先しよう。そうした方が、結果的に満足度が高い作品ができやすくなる。
堅苦しい頭で作ったものは、どこか『楽しむ』のにもわずかな抵抗を覚えるものになってしまいかねない。自分を縛りすぎては、自由な『楽しさ』は表現できない。
誤字脱字も誤用も、目を皿にしてまでつぶさなければいけないものでもない。その労力を小説作りの方へ回した方が、よっぽど建設的だ。
体裁や格好を整えることに執着しすぎてはいけない。すでに体重の増加によって見た目の善し悪しはあきらめがついたのだから、小説における無駄なこだわりも、捨てようと思えば捨てられる。
捨ててもいいのは、固定観念と見栄だ。自分をよりよく見せようとするから、よけいなことにしか目がいかなくなる。必要なところに入れるべき力が弱まってしまう。
結果、無駄な力を使ってしまって、無気力になりがちなのだろう。
私の場合、『読み直し・推敲はしない』、と言い切るくらいの方がいい気がする。面倒くさがりのため、一度公開に踏み切ると滅多なことではない限り内容の修正はしないし。
私はプロではない。優秀でもない。ならば、肩の力を抜いて、気楽に活動できる状況をありがたく思った方が精神衛生上はいいだろう。
気にしないようにする。直すのは難しいかもしれないが、ゆっくり修正していければいい。
ともかく『書く』ことへのハードルを下げようと模索中です。執筆が小慣れてきた頃合いから、変に頭が固くなってきていたのはなんとなく感じていました。
初心を思い出せるよう、自分にも言い聞かせていきます。




