467回目 2020/6/24
自分の病みが、また一つ出てきました。
そこそこのヤバさがにじむポエムでできていますので要注意。
『理想に押しつぶされる』――自分で決めたはずのことができなかった時、自然とこの言葉をインターネットの検索エンジンに書き込んでいた。
少し冷静になってからなら、あー疲れてるんだな自分、と思うことができるけど、この言葉を打ち込んで検索に指を伸ばす瞬間は、何の違和感も持っていなかった。
私は完璧主義の傾向にある。なので、少しでも自分が掲げた『理想』が崩れると、途方に暮れて何もできなくなる。今も昔も、それは変えられない。
自覚はあるつもりでも、いつか時間がたてば忘れてしまう。だから、忘れた頃に自分の現実という至らなさを目の前にして、足がすくんで、座り込んでしまう。
これが、自分があこがれるような他人であれば、また違ったかもしれない。羨望か嫉妬か、いずれにせよ『自分ではない誰か』へ感情を向けられるのだから、逃げ道がある。
でも、私が見上げているのは『完璧な自分』だ。存在しない、誰もなることができない、現実に存在しないいわば『神様』のような存在だ。
下手に『自分』と定義してしまうから、『がんばれば現実のどうしようもない自分でもいつかは……』なんて、無謀な夢を見てしまう。
決してなれはしないのに。人はどこまでいっても不完全な生き物なのだから、『完璧』にも『神様』にもなれるわけがない。
頭で理解しているつもりでも、私はいずれそのことを忘れてしまうから、『理想』が高く積み上がってから、心がその重さに耐えられなくなってしまう。
つぶれて、落ち込んで、もう一度立ち上がって、歩き出しても、またいろんなところから『理想』のかけらを見つけて拾って積み上げて。
同じように、つぶれてしまう。
何度も何度も、同じことを繰り返して、落ち込んで、前に進んでいる気がしないまま、人より多くの時間を立ちすくんだまま過ごしてしまう。
そうなると、今までずっと『自分の理想』と比べていた『現実の自分』は比較対象を変え、『現実の他人』と比べ出す。
ああ、真っ当に生きている人はたくさんいるのに、『現実の自分』はどうして何もできないのだろうか? 何もしないのだろうか? 何も残せないのだろうか?
私の歩くスピードは、たぶん、人よりも遅い。ほとんどの人ができることも、私にとってはとても時間をかけないとできないことだなんて、よく考えてしまう。
すると、私は私の『価値』を見失う。私の『存在』を置き去りにしそうになる。そうして、私の『心』はまた、くしゃりくしゃりとつぶれていく。
理解できたつもりにしかなれない。『理想』と『現実』は違う。『完璧』になんてなれはしない。今、これから少しずつ積み上げないと、見上げた先にはたどり着けない。
そう、自分に言い聞かせてみても、私は足下ではなく頭上の栄光に目を細めて、腕を伸ばしてしまう。イカロスの蝋の翼よりも低い場所にしかいないのに、見つめる眼球やのばした腕を焼かれながら。
この感覚は誰にも共有できない。そう確信しているからこそ、私はこの自傷行為を誰かに訴えられないし、助けも呼べない。
勝手に落ちた蟻地獄の下で、肉体を砕かれながら孤独を嘆いて、空気さえ震えない悲鳴を上げるのだ。
泣きたいくらいしんどいのに、何も感じない時がたまにある。さすがに、こんな状態になるとやばいと思うが、表情も心も固まったまま動かない。
しばらく現実逃避に身を浸せば戻ってこれるが、やっぱり対処療法でしかなくて、根本治療ができていない私の『理想病』はまた動き出す。
……とんだ回り道をした。
『理想に押しつぶされる』と検索した結果、見つけた記事がある。
夏ノ瀬 いの(@stylish_gorilla)さんのTwitterで公開されたマンガの紹介記事だった。
『完璧になりたい人へ。(pic.twitter.com/bulCHHBGV)』、そう題されていた。
――自分で安定してもてる量を持ってみなさい。
――「たったこれだけしかできない」じゃないですからね。
――それはあなたにとっての「最強」なんです。
――荷物は少しずつ増やせます。
――今はまだ、あなたの最小限の最強を誇りなさい。
マンガに載せられた言葉の一部を書き出してみた。こみ上げてくるものがあった。
『たったこれだけしかできない』。私が常に自分へ下している評価そのままで、心が揺れたからかもしれない。
『あなたの最小限の最強を誇りなさい』。私が考えたこともなかった自負の形を、文章として提示してくれたからかもしれない。
おそらく、私はいずれ、このマンガや感銘を受けた台詞のことも忘れてしまうだろう。
でも、読んだときに感じた感情は本物だ。高く積みすぎて周りにぶちまけてしまった『理想』を見渡し、途方に暮れている自分を幻視した、無力感を少しだけ塗りつぶす安心感。
私の持てる『理想』は少ない。どれだけ魅力的に映っても、あれもこれもなんて、できはしない。
自分の許容範囲を、落とさないよう、しっかりと持っておく。
それだけで、『理想』という自傷行為は、和らいでくれるのかもしれない。
自分が持っている物が『最強』だ、なんて考えたことが本当になくて、目から鱗でした。手元にあるものの価値は、いつだって誰かの手にあるものより低かったからです。
そんな私だからこそ、『最強』なんて言っちゃうくらいの方がちょうどよかったのでしょう。自分への過大評価ができてようやく、世間とのズレが小さくなってくれそうなので。
引用記事:『自分が作り上げた理想に苦しんでない?漫画『完璧になりたい人へ。』が心に染みる 2019/4/3 (https://fundo.jp/239077)』




