466回目 2020/6/23
『なろうテンプレ』と呼ばれている作品を読んだ場合の、私にとってのメリット・デメリットです。
まず、メリットとして『新たなネタが降ってきやすい』こと。まあ、誰も見たことのない新しいネタというよりも、『アレンジしたネタ』と言い換えた方がいい内容だけど。
昔のネタさえまだデータフォルダに消化しきれていないのに、ネタだけがたまっていくのは『設定と夢だけ膨らむワナビ』感がすごいが、それでも『書きたい題材』が枯れないのはメリットだろう。
だいたいは『自分ならこうする』という、ストーリーに対するいちゃもんもなきにしもあらずだ。『こうした方が私は好き』、という感覚なので他の作品をおとしめる気はない。
そもそも、私が『テンプレ』を書けないのは『誰かの真似だけじゃ面白くない』と思うからだ。必然、『なろうテンプレ』を流用しようとすると、何かしらを変化させたくなってしまう。
基本的には『展開』を変えるのが多いか。流行っている(=よく見かける)『テンプレ』のストーリーと比べて、最終的な着地点を変えようと考えが飛躍する。
私は決して技巧派な方ではないのだが、それでも作品の傾向として『あっと驚くびっくり箱』みたいなオチを求めたがる。意外性のあるオチや面白さが好きなのだ。
だからこそ、『安定・安心なオチ』が前提の『テンプレ』作品とは相性が悪い。感性からして別なのだから、『テンプレ』を知っている人向けであってもサプライズ要素を抜くことは考えられない。
そうした『発想の種』を得るためにも、『なろうテンプレ』はいろいろな実験ができそうで面白い。文章やキャラ視点などに荒さが目立つ作品だと、発想が面白い場合が多いのでよけいに刺激を受けるのだ。
逆にデメリットだと、単純に『時間を食う』ことの他に『自己嫌悪』が浮かび上がってくることだ。
前者は言うまでもないが、『自己嫌悪』の方は『何も書けていない自分』に対する文句と言い換えてもいい。
要は、ネタが浮かんでるんだったら書けよ、と理性側の私が怠け癖のついた私にあきれているのだ。ふと、他の作者様の作品を読んでいると、我に返って『自分は何をしてるんだ?』と落ち込むことがある。
読書中に思考や発想が飛ぶのはよくあることだが、良きにしろ悪きにしろ一度感情の深みにはまってしまうとなかなか抜け出すことができない。それがしんどい方面へ沈むとさらにつらくなる。
普段から内省的なことにふけりがちなため、正気への復帰が簡単ではないのだ。気づいたら数十分間も自分の思考に没頭して、開いていた小説が一行も読めていなかった、なんて割とある。
私にとって、あらゆる刺激は気分を大きく上下する要素足り得る。楽しい気分になれればいいが、経験上落ち込む気分になることの方が回数は多い。
なるべくブルーな気持ちにならないよう、目を通すコンテンツを選んでいるつもりではあるが、こうした感情面でのコントロールがまだまだ下手なので完全な回避はできていない。
メンタルコントロールって本当に難しい。そろそろ瞑想みたいなことも本格的に試してみようか? なんて考えるくらいだから、自分で考えているよりも深刻かもしれない。
別に『瞑想』が人間の落ちるなれの果て、なんてけなすつもりはないにせよ、若干のオカルト要素が臭う手段って懐疑的になってしまうんですよね。
これも一種の食わず嫌いでしょうか? もし本当に精神状態がフラットになるなら、やっぱり試してみてもいいのでしょうかね?




