457回目 2020/6/14
小説における地の文とはちょっとニュアンスが異なる『一人称』についてです。
これを書く直前、『なろう』の日刊エッセイランキングを流し見していると『なろう系小説で主人公の一人称を「俺」にするのって難しくない?って話』というタイトルが目に留まった。
ざっと内容を読んでみると、このエッセイ作者が小説を書くときに感じる『俺』という一人称を使う主人公キャラへの違和感? みたいな、ともかく感覚的な話らしい。
私個人としてはそこまで気にしたことはないものの、男主人公の一人称は結構『俺』の採用率は高い。なお、上記エッセイ作者様は『僕』がしっくりくるらしい。
作者様個人の感覚としては、『俺』だと情景描写が多めの無感情(無機質?)な感じになりやすく、『僕』だと感情描写が多めの稚拙(子供っぽい?)感じになりやすいそうな。
そういう感覚を持っている人がいると知ったのも初めてだし、そんな違和感を一人称で与えかねないという事実に、私は素直に驚いた。作者の技量次第だろうけど……とも注釈を入れていたとしても。
このエッセイを読んだ後、そういえばと思い出したことがある。
『俺』という一人称だが、どうも一部の若者には『ダサい』という認識が広まっているらしい、というニュースだ。
いつのどの番組だったかは思い出せないが、たしか朝のニュース番組のワントピックか、ワイドショーか、情報バラエティあたりで目にしたインタビューだったと思う。
さらにどんなことが中心の話題だったかも思い出せないのだが、インタビューを受ける十代の男子学生が口にした言葉がとても印象に残っていた。
――『俺』って使うのは恥ずかしい。自分を強く見せようとしているようで『ダサい』。
例のごとく細かいニュアンスはおそらく違うはずだが、理由としては大筋でこうしたものだったと記憶している。
要するに、昨今の若者同士において『俺』と自分を呼ぶことはすなわち『イキってる』と思われる可能性があるようなのだ。どうも攻撃的とか誇大表現みたいに思われている節がある。
ならなにを使うか? というと『僕』や『自分』が主体になるのだそう。インタビューは東京で行われていたと記憶しているが、果たしてこの認識・考えがどれほど広まっているのかは定かではない。
しかし、ある程度の人たちにとっては、『俺』という一人称が普段使われる言葉から乖離し始めているのは事実としてあるのだろう。
もしかしたら、近い将来『俺』という一人称が『創作の中だけの呼び方』になる、なんてことにもなりかねないのでは? と考えてしまう。
あつかいは『わがはい(我が輩)』とか『それがし(某)』とか『やつがれ(僕)』とか『せっしゃ(拙者)』みたいなものと同列になるのだろう。本当にそうなったら、少し寂しい気もする。
かくいう私は、たいてい一人称をTPOに応じて使い分けることが多い。
『俺』は親しい間柄が相手の時に使い、家族や友人相手だと自然に出てくる。『僕』はややフォーマルよりで、顔見知りの知人や初対面の人、あとは仕事の人間関係だとこちらを使う。で、今ここで使っているように『私』は書面で自分を指すときに用いていて、基本的にチャットアプリなどの気安い場以外は変わらない。
私の感覚だと――カジュアル『俺』<『僕』<『私』フォーマル――となる。感情的なニュアンスはあまりきっちり定まっているわけではないが、やはり行動的・攻撃的なキャラだと『俺』になりやすいか。
にしても、『僕』より『俺』を使う主人公を描くことが多いのは、やはり私が英雄的な主人公を無意識下で望んでいる証拠なのだろうか?
少し気になってwikiで調べてみたところ、創作における『俺』の使用には野性的なイメージを持たせるためにと、少年マンガなどから広まったそう。戦後すぐの作品だと『僕』が比較的多かったらしい。
ずっと何となく使ってきた一人称だが、何でもありな創作の中であれば、少しくらい意識して使い分けた方が作品やキャラの魅力を引き立たせる要素になるのかもしれない。
今までは結構『リアルな実生活で使うかどうか?』を軸に、キャラの生育環境で使い分けている程度でした。しかも、メインは一人称ではなくて口調全般のことですし。
何でも、思春期が一人称に迷いが生じる時期なのだそうです。確かに、私も『僕』から『俺』に変わったのがそれくらいですね。周囲の男友達が使いだしたから、なんて理由だったと思いますけど。




