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420回目 2020/5/8

 テレビで見た『お金を稼ぐ意味』みたいな話です。


 収入を増やしたい、お金持ちになりたい、分厚い札束で憎いあんちくしょうを往復ビンタしたいなど、多くの現代人はお金に執着しやすい傾向にある。


 しかし、実際は足下の暗がりを紙幣で燃やした種火で照らせるような富裕層は数少なく、ほとんどが貧困な労働者として日々を生きている。


 今を、明日を生きるためには金がいる。しかし、お金ってそもそも何? 労働の対価で、どうしてお金がもらえるの? といった疑問を取り上げたテレビを見た。(上記は誇張表現あり)


 取り上げられた思想はアダム・スミスの著書からで、たしか『道徳感情論』と『国富論』をベースに話を展開していた。


 この二つの著書はそれぞれの出版までに時間があいている(道徳~国富の間は十七年ほど)ため、互いに矛盾してそうな理屈を展開していたっぽいが、それはおいておく。


 簡単に言えば、お金を稼ぐのは『利他心』と『利己心』のバランスが大事、という結論だった。


『利他心』は『道徳感情論』からの理屈で、『人の利益となるため、人の助けとなるための行動の対価』として『お金』が発生するという考え方のようだ。


 極端な話、金銭が発生する労働・行動はすべて『他人のためになる行動』につながっており、その人自身が社会における価値を物質的に示す指標、という考え方になる。


 もちろん、違法な行いで得られるお金もある。暴力や脅迫など、とても労働とは言えないような行為などがそれに当たるが、遠因で言えば家族や所属する組織のため=他人のため、と考えられなくもない。


 まあ、そちらになると『国富論』で説いたらしい『利己心』の話になるのかもしれないが。『利他心』は金稼ぎの根底としては基本であるが、『利己心』がなければ自分の安売りにつながるのだ。


 なので『国富論』では『利他心』と『利己心』のバランスが大事、ということらしい。『利己心』はつまり金銭欲であり、一見すると負の感情にも思えるが人間の社会生活には必要な欲望なのだとか。


 もし『利他心』だけで行動すれば人の善意につけ込まれ、ボランティアという名のただ働きをさせられる危険性もある。それでは労働力をひたすら搾取されるだけの存在になりかねない。


 だからこそ、適度な『利己心』をもって『自分の価値』を正しく認識する必要がある。『これだけの労働』をした自分には『いくら分のお金』をもらうだけの権利・価値がある、といった具合に。


 このバランスが崩れると、富の分配におけるバランスも崩れる。一部の富裕層がお金を独占し、大勢の貧困者を生む『経済格差』といった形で。


 ……と、私はそのように話を飲み込んでいるが、そう考えると今の世の中に『利己心』のみでお金を集めようとしている人が多すぎる気はする。


 お金持ちの全員が『利己主義』と言うほど潔癖ではないにせよ、『利他心』を持って活動できる人が割合として少数派なのは何となく感じてしまう。


 この国の政治家なんかは特にその傾向が強い気はする。『利他心』よりも『利己心』と『自己保身』が強すぎて、責任の所在を曖昧にして自分のリスクを最小限にしないと何もできない――そんな印象しかない。


 私が他人のことを言えるメンタルではないのを重々承知で言うと、『間違えるリスク』をおそれていては何も決まらない。『兵は拙速(せっそく)(たっと)ぶ』ともいうし、ある程度の完成度を犠牲にしてでもスピードを求められる場面は必ずある。


 だからこそ、台湾などは早期に武漢(コロナ)ウイルスの感染拡大を防げた面もあるのだろう。いや、個人的な意見なので他意はないが。


 なぜかだいぶ話が飛んだが、要するに『誰かのため=利他心』を持ちながら行動し、『自分の価値を守る=利己心』を忘れずに対価を要求することが、健全な『お金稼ぎ』になる、という考え方になる。


 聞く人によれば単なる理想論にすぎないかもしれないが、『利他心』のような意識を持っていて損はない。『誰かのために動く』とは言い換えれば『誰かの不便を見つけられる』ことでもある。


 世の中の人の不便・不満の中から生まれるのが、いわゆる特許(アイディア)商品だと考えれば違和感はないだろう。便利な商品だから人に求められるし、開発者とて不便を解消するのが目的で商品を作ったのだろうから、収益はあくまで『アイディアを形にした人の価値』でしかない。


 昨今の世界・日本経済を考えればどこか甘っちょろい考え方にも思えるかもしれないが、私はそれくらい優しさを感じる理屈の方が好きである。


 見たくない・聞きたくない情報が放っておいても目や耳に入ってくるこの時代、たとえ詭弁(きべん)と言われても目や耳に優しいものに触れていたいと思う。


 武漢(コロナ)ウイルスなんてなくとも、ニュースを見ればいやな情報なんて山ほど入ってきます。ネットを開いても同じで、現代は心がすさみやすい環境にあるのは間違いないでしょう。


 だからこそ、電波やネットが存在しない時代の人が提唱した理論が甘っちょろく感じるし、同時に優しく感じるのかもしれません。その点だけは、昔の方が生きやすい時代だったのかもしれませんね。


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