414回目 2020/5/2
もしかしたら執筆時のペース配分の目安になるかもしれません。
ちょこちょこと小説の続きを書いていく内に、何となくだが『筆が乗る・乗らないシーン』が見えてきたかもしれない。
十年以上もやってきて今まで見えてこなかったんかい、というツッコミは聞かない。いちいち書いているときの状態とか気にしてやってこなかったもので。
あくまで私の場合だが、登場人物の感情が平常時より大きく上がるか下がるかすると――要するに感情的になると書きたい言葉が出てきやすくなるようだ。
ここしばらくは地の文を一人称で書くことが多かったので、その感覚をよりはっきりと実感している。
『感情的』とはプラスもマイナスも含めたテンションの上がり下がりだ。楽しくてハイになってたり、悲しくてうつになってたり、いわゆる『見せ場』だとかなり進みやすい。
まあ、これはほとんどの作家さんが共通していることだろう。『書きたいシーン』が頭の中にあるから、がんばってそれまでの過程を書いている部分はある。
逆に平常時とか説明シーンとかはなかなか筆が進まない。そもそもそこらへんは書き手目線だと『伏線を仕込む機会』になるので、前後のシーンの整合性などいろんなことを頭で計算する場合がある。
書いている途中でも『これは後でこれに結びついて』とか考えていたら、実際の執筆文字数と比べて頭の疲労が強くなっていく。で、結局そこまで話が進められない、と。
そうでなくとも、単純に盛り上がらないシーンって意欲が出にくくなった。頭の働きも心なしか鈍くなって腕が動かなくなっていくのとか、どん詰まりってこういうもんかと思ったくらいだ。
どうも登場人物のメンタルが私自身のメンタルにも影響するようになってきたらしい。いいことなのか悪いことなのか、そこまではまだわからないけれども。
ひとまず、『登場人物のテンションが変動するまでの執筆モチベーション』を何とかできたら、割とするする書ける気がしてきた。
その停滞期間をどう乗り切るかがめちゃくちゃ大変そうだけれども。
本当、昔に比べれば自作・他作込みでいろんなキャラクターに影響されるようになってきたなぁ、と思います。
年々感情移入が(私の意思関係なく)強くなってきたのは、たぶん勘違いじゃなさそうですね。感受性が高まった、と良さげな方向に書いてみても微妙な気分になりました。




