395回目 2020/4/13
昨日の夜にやっていた実写版『シンデレラ』を断片的に視聴した私の、無粋な感想です。
なお、いつもと比べてだいぶ長いですのでご注意を。
特に見たいテレビがあったわけでもなく、たまたま流れていたから視聴していた実写版の『シンデレラ』だが、よく見るとそこそこ気になるツッコミどころがあった。
自称『HSP』である私は、先日からウジウジクドクドとグチばかりこぼしていたので、ここらあたりでプラス面における『HSP』の特徴を出せていけたらな、と思った次第だ。
まあ、他の人も違和感を覚えている部分かもしれないので、それだけで『HSPっぽい』かはわからないのだが。
・魔法で消えないガラスの靴
これは拙作である【普通】の中でも指摘していた部分だが、なぜ魔法で変化させた他の物品は宣言通り元の姿に戻ったのに、ガラスの靴だけ現状維持なんだ? と。
余談として、今考えれば無粋の極みだった【普通】内での解釈だと『魔法を使った人物が、影ながらガラスの靴の形状維持に尽力していた』という、色気もへったくれもない理由を用意している。
さて、実写版『シンデレラ』の場合は百歩譲って『ガラスの靴』だけ『フェアリーゴッドマザー(冷静に考えたらすっげぇ名前だな……)』からのプレゼントだったと仮定してみよう。
すると疑問に思うのが、『なぜ靴だったのか?』である。
『フェアリーゴッドマザー』が、身の回りの物品を半ば強引に舞踏会へ参加するための道具・人員に変化させられたシーンにおいて、『シンデレラ』はこう言っていなかっただろうか?
『このドレスは母の形見なんです。なのでこれだけは別のものに変えないでください。母も一緒に、舞踏会へ連れて行って上げたい……』というような台詞を。
それを受けて『フェアリーゴッドマザー』は『アレンジを加える』という妥協点を提示し、『シンデレラ』の了承をとってから形見のドレスを遠慮なく魔改造していた。あれ絶対、色を変えただけじゃねぇだろ。
それから同様に変化させたカボチャの違法改造馬車に『シンデレラ』を乗せる際、『フェアリーゴッドマザー』はみすぼらしい『ダンスシューズ』を見て『これじゃだめね』的な台詞をこぼしていた。
対して『シンデレラ』はなんと言ったか――『これしかなかったんです』みたいな言い分だった。それを受けて、暴虐の『フェアリーゴッドマザー』は近所のお節介おばさんもかくやといった勢いで『ガラスの靴』を用意して『シンデレラ』に履かせ、魔法の注意事項を残して送り出したわけだ。
お気づきだろうか?
私が仮定に挙げた『プレゼント説』を支持するなら、『フェアリーゴッドマザー』が気を利かせるべきは『妥協で選んだ靴』ではなく、『思い入れが深いドレス』だったのではないか?
ぶっちゃけ、私は実写版『シンデレラ』を最初から最後まで通しで見ていたわけではない。私が知らないところに、何かしらの伏線なり描写があったかもしれない。
だが私がみた範囲では、『魔法をかけた状態で残しておく必然性』は『仕方なく履いていたシューズ』に存在しない。
というか、使用人同然の生活をしていた『シンデレラ』に、いきなりあんなヒールの高いガラス性の靴を与えるなんてどうかしている。あんな靴擦れ必至なかったい靴で王子と踊れって? バカも休み休みいえ。
日本に置き換えれば、夏休みの花火大会デートで浴衣を用意したんならせっかくだし下駄を履いていけ、と言われたようなものだろうか。
履き慣れない下駄で歩くだけでもつらいってのに、そこからさらに優雅な盆踊りも披露しろってか? 実際に装着して動く側の身になってみろ。
ともすれば、『フェアリーゴッドマザー』は『継母』以上に無理難題を『シンデレラ』に強いていたことになる。
それも『すべての準備を整えた後』での『無茶ぶり』だ。いくら見栄えをよくしたかったとはいえ、実用性が限りなくゼロに近しい『靴』を強要するなんてとんだパワハラである。
『愛』と『優しさ』と『勇気』がテーマだったか? まさか『シンデレラ』も、『フェアリーゴッドマザー(=味方)』側から『勇気』を試されるとは思ってもみまい。本当にお気の毒である。
ただまあ、『形に残る魔法』を『ドレス』に指定しなかった理由がないではない。
『母親の形見』としての思い入れがあると明言した『シンデレラ』にとって、『豪華なドレス』よりも『そのままのドレス』の方が愛着があったから、という推測だ。
当該作品を視聴した人ならばわかるように、『アレンジ』とはいえない『劇的ビフォーアフター』をかましてくれた『フェアリーゴッドマザー』の作品は、『母親の形見』たる『ドレス』の原型がかなり薄れている。
『妖精』か『神様』か『おかん』か……いずれの要素で『やりすぎお節介』気質が働くのかは、また別の考察に回すとして。
たしか、魔法をかけられる直前に『形見のドレス』は『継母』か『義理姉妹』かに汚されたか破かれたかしたと記憶しており、公の場に参上するにはむしろ不敬な装いになっていたはずだ。
だからこそ『フェアリーゴッドマザー』は『ドレス』に魔の手を伸ばしたわけなのだが、上記したように『どぎついアレンジ』をかまされた『シンデレラ』は思うだろう――『母親のドレスじゃない』、と。
私の記憶通りならば、『アレンジドレス』を見下ろした『シンデレラ』の感想は『すてき……本当に素敵!!』みたいな感じだったはずだ。
もしかしたら『母親も喜ぶ』的なコメントもしていたかもしれないが、さりとてその中に『シンデレラ』が『アレンジドレス=形見ドレス』と認識していたかと問われれば疑問が残る。
あくまで思いは『ドレス=素敵』なのであって、『アレンジドレス=形見ドレス』とは限らないのだ。そう考えると、『シンデレラ』は『フェアリーゴッドマザー』への対応に、かなりの量の『オブラート』を利用したに違いない。包みすぎて言葉の真意を悟らせない『シンデレラ』の会話術には脱帽だ
そうした舞台裏があると考えれば、『フェアリーゴッドマザー』が『ドレス』ではなく『靴』を形に残した説明が(消極的ながら)つくことになる。
……ただし、『フェアリーゴッドマザー』はそこまでして『シンデレラ』の意をくみ『プレゼント』を残そうとしたのに、なぜ『母親の形見のドレス』を『元の形に修繕する』という常識的な発想が浮かばなかったのか? 新たな謎に我々はぶち当たることになる。
こちらもまた、『妖精』か『神様』か『おかん』のうち、どの要素がそうさせたのか……あらゆる角度からの検証が必要になるだろう。
・新国王と軍部のつながりが強すぎる
話は『シンデレラ』の捜索を決める前後の場面にあたる。
若くして『国王』となった王子は、政略結婚による『他国との政治的つながり』や『安定が期待される治世』などよりも、『個人の愛』に目覚めて『シンデレラ』を結婚相手に望んだ。
これ、よくよく考えなくとも『為政者』として『私人』に傾きすぎており、王国の基盤を支える臣下・臣民にとって『王国の内政や安全保障』に著しい不安を与える決断である。
今回の場合、政略結婚は『国王』を権威者として不足ない人物であるという箔付けであると同時に、迎え入れる予定だった『他国』との『同盟』を視野に入れた『外交戦略』でもある。
友好関係のアピールとして『貿易』や『軍事的同盟・相互不可侵条約』を結ぶことは容易に想像がつく。あるいは、『他国の姫』は嫁いだと同時に『王国が確保した他国にとっての人質』と考えることもできる。
一方、作中でも言及されていたと思うが、『シンデレラ』は『平民』だ。『王国』における絶対君主である『国王』の配偶者として、致命的なまでに『弱点』でしかない。
『前国王』と違って(そもそもこいつが『王子』以外に弟や姫などを用意していれば、放蕩息子のための舞踏会なんて開く必要がなかったのに……)、『新国王』は『若い(=知識・経験が浅い)』上に『貴族からの信頼』も薄いと考えられる。
『若さ』は仕方ないが、ストーリー後半であれだけ『大公(前国王の弟か?)』との対立を見させられれば、『新国王』が『貴族主義派=大公派閥』との折り合いが悪いことなどすぐに想像がつく。
詳しい時代背景はわからないが、中世ヨーロッパにおける『王政』は必ずしも『絶対君主制』と結びつかない場合がある。地方貴族の方が裕福で私有する武装勢力も大きい、なんて珍しくもなかったはずだ。
つまり、『国王』は『武力的革命』などの手段によって簡単に首がすげ変わる程度の地位でしかなく、『貴族と良好な関係から国を維持する中間管理職』程度の力しか持たない場合があるのだ。
もしそうだとしたら、『新国王』の判断は『貴族主義派』との軋轢をより深く、致命的なものへと導いてしまいかねない。
なぜなら最終的に、『新国王』は『愛』のために『平民』との挙式を大々的に打ち出したあげく、真剣に国政を考えていた『大公(+継母)』を国外追放処分にまでしたのだ。
それを『大公派閥』と思われる『貴族主義派』が黙っているとは考えられない。公言こそしないものの、内に秘めた『新国王』への不信感は爆発的に高まっただろう。
『この若造に国を任せて本当に大丈夫なのか……?』、そんな不信の種を即位早々に『貴族』たちへ与えてしまった以上、『新国王』はこの先かなり苦労するのは目に見えている。
また状況的に、『前国王』の支持派がそのまま『新国王』につくとも考えづらい。
『大公』という『新国王の親族』であり『貴族派のトップ』だっただろう、『国にとっての忠臣の諫言』を聞き入れなかったばかりか、王国から追放までしたのだ。
いくら最後にちょろっと『平等な国づくりをした夫婦になりました。めでたしめでたし』と付け足したところで、『貴族』側からしたらこれほど手に負えない『暴君』もいないだろう。
まして、『新国王』は『大公』よりも『大佐=軍閥』との強いつながりを示唆する描写が随所に見られた。
ヨーロッパ社会において被差別的な立場に追いやられていたと考えられる『黒人』を『大佐(=高位の役職)』につかせ、身辺警護などを任せていた点から見ても、『権威主義』よりも『能力主義』の考え方が強かったのだろう。
現代の『資本主義』が浸透した社会情勢からすれば、『人種の貴賤を問わない姿勢』は好ましく見えるだろうが、ごりっごりの『封建社会』で『貴族(=権力)を軽視する姿勢』は『自らの権威の否定』にもつながりかねない『暴挙』ともとらえられる。
ではそんな『新国王』が、『権威』の衣を薄くした上で何を頼りに安定した治世を目指したか……言うまでもなく『大佐』以下『軍閥』を中心にした『軍事政権』である。
国防や治安維持により力を入れられる代わり、国内の反抗勢力に対しては『軍事力』で鎮圧する『平等で平和な王国(?)』の姿が浮かんできそうだ。
そうなればよりいっそう、『貴族主義派』との溝が大きくなって――なんて悪循環が発生するだろう。
ここから『貴族主義派』と歩調を合わせるなんて不可能に近い。いったいどんな『賄賂』を使ったのやら。
以上から、こと『政治』として見れば『シンデレラ』を妻にするメリットなんて皆無に等しいのだ。
権力争いとは、ある一方の勢力に肩入れしすぎると崩壊を加速させるようにできている。『新国王』はそうと知ってか知らずか、『前国王』の政治的献身や努力をあっという間に砕いて見せたことになる。
もしそれをわかった上で『愛』に生きたのであれば、『新国王』の『優しさ(笑)』と『勇気』には頭が下がる思いだ。
よくあなたの代で『王国』が滅びなかったものだよ。彼の臣民を引きつけるカリスマと国家運営に関する辣腕は、真面目に尊敬できる。
・身分階級の違いにおける弊害
そして、そんな超絶有能な『国王』を『政治』の『せ』の字も知らない『小娘』が、生涯王妃として支えたのだから本当にびっくりである。
時代背景からして『特権階級』とはすなわち『知的階級』でもある。幼少期から与えられてきた『情報量』が、『平民』などとは比べものにならないほどの差があるのだ。
それによる問題とは何か……簡単だ。『住む世界』や『見える世界』が『違いすぎる』のである。
『シンデレラ』の『住む世界』なんて『継母』たちと暮らしていた家やその周辺程度で、『見える世界』もせいぜいが『自分の生活範囲から見渡せる距離』でしかない。
しかし『国王』になると当然、『特権階級らしいはったり』を常に周囲へ誇示しなければならない。生活空間は華美な芸術品や宝飾品にあふれ、掃除するだけで大変な荘厳な城に居を構える。
財政の豊かさは視覚的に見るものを圧倒させ、より希少で高価なものに囲まれている環境にいるだけで『権威』の主張にもつながる、重要な示威行為だ。
そうして国内貴族には『王国の盤石な権勢』を伝える安心材料となり、国外の王侯貴族に対しては『王国の有する力の大きさ』を示す警告になる。
それだけでなく『新国王』が舞踏会に他国の姫を招いたように、『シンデレラ』もいずれ『王妃』の立場から公務の一つとして『外遊』へ出る機会があるだろう。
つまり『シンデレラ』は、『家(=王城)』の中だけで『生活が完結しない』環境に身をおくのだ。まさか、『愛想笑い』だけしておけば全部うまくいく、なんてことが権謀術数が渦巻く『狐狸の巣窟』であり得るはずがない。
『住む世界=活動範囲』だけでなく、『見える世界=常に意識し配慮しなければならない範囲』までもが一気に広がった『シンデレラ』に、『王妃』としてのつとめがこなせたかはかなり疑問だ。
それこそ、『継母』のいびりが『かわいいお遊び』に思えるほどの、凄絶なストレスと苦痛に見舞われることだろう。私だったら胃と腸と肝臓に穴があく自信がある。
そうした『無視できない身分の差』を覆して、王国を次代に継がせた『シンデレラ』の『愛』と『優しさ』と『勇気』とは、一体どれほどの器だったのだろうか……とても興味深い。
おそらく、『新国王』の『軍閥寄り』の政治思想からして『戦いの女神』的な女傑だったのかもしれない。『軍事独裁政権』を敷く君主の妻なんだから、それくらいできないとむしろ困る。
・結論
実写版『シンデレラ』は『武力で国を治める脳筋夫婦のなれそめ』である。
その後『王国』が『平等』を免罪符にして、一体どれだけの近隣諸国へ侵略し戦争をふっかけたのか気になるところではあるが、ここで私の『映画を断片的に視聴しての所感』を終えたいと思う。
そして、長々とした疑問点すべてに目を通してくれた方々に、多大なる感謝を心から述べたい。
ご精読、ありがとう――お疲れさまでした。
こんだけ書いておいてなんですが、『それがHSPの証明になるのか?』と聞かれれば『さぁ?』としか言いようがありません。
ただ私の場合、『深く物事を考えることができる』って性質を当てはめれば、『とっさにこれだけ思いついた』と提示できただけです。
こういう妄想を延々と考えては、一人でくすっと笑って時間をつぶせる人間が、たぶん『HSP』に近いのではないでしょうか? 誰か共感してくれますかね?




