392回目 2020/4/10
う~ん、なかなか勇気がいるやり方かもしれません。
先日に紹介した『ブランディング』に関する本において、『売れる売り方』のコツとして『個性』が挙げられていた。
その人の談によれば、『今の時代は知らない人からよりも知っている人――家族・友人・インフルエンサーなど、一定以上の情報があり信頼を置いている人の紹介からしか、購買意欲は発生しない』という。
要するに『個性』を出して『知ってもらう努力』が必要、ということだ。
とはいえ、単純に『商品=小説』の宣伝をして『知ってもらう』のではない。『作者=個人』を『知ってもらう』のが大事だというのだ。
理屈としては『面白い/博識な/信頼できる人の商品(=小説)だから、読みたい/欲しい/買いたい』と思わせられる。
前回にも記載した(と思う)、『人と人との信用』からくる経済的需要を見越した『売り方』が求められる、のだとか。
その戦略として、絶対的に必要になるのが『自分を知ってもらうこと』なのは言うまでもない。
書籍の中ではSNS(ツイッター・インスタグラム・フェイスブックなど)の利用を強く推されていて……というより、必須な感じで書かれていた。
SNSは『一度に大勢の人へ情報発信ができるツール』として非常に優れている、それを利用しない手はない、と。……相手が好きになるか嫌いになるかは別にして。
ただ、これはかなりの長期戦略になる。
私の場合、現状からして『なろう』以外にSNSの利用がないため、新しく発信力の高い媒体を選んで、『私(作家・一 一 )』が何者かを『知って・見つけて・認知してもらう』ことから始めなければならない。
そうして多くの人と交流を持ち、友好や信用を得たところでようやく『宣伝』が効果を発揮する土壌が整う。
最終的に目指す結果は、『こいつ(=私)の小説? どれどれ、読んでやろうじゃねーか』的な感じで、『興味の入り口』を『作者』に持ってくること。
そうすれば『小説単体』ではなく『作家本人』に『訴求力』がついた、という手はずになるのだそうだ。
さて、無駄に執筆歴だけは長い私が挑戦するならば、正直『ツイッター』一択だろう。『フェイスブック』は以前アカウントは作ったが、結局ほとんどいじらず挫折し、『インスタグラム』は写真なんて撮らねーし。
まあ『情報発信手段はなるべく多い方がいい』とごもっともなことも書かれていた気がするので、昔の級友に趣味をさらす恥とか言ってられないし、『フェイスブック』くらいはやらなきゃいかんだろうけど。
『自分』を売り込む、知ってもらう、ファンになってもらうって……めちゃくちゃ大変なんだと今さらながらに痛感した。
なぜなら、私は以前ここでも書いたように『人見知り』かつ『ネト(ネット)見知り』である。不特定多数の人間との交流も、今はほとんど交流のない級友との交流も、怖くて怖くて仕方がないのだ。
(たぶん)デカすぎる見栄のせいで、全日制高校をドロップアウトした元神経症者をなめるなよ。小・中・高校の知り合いとか、全員(自分勝手な被害妄想で)恐怖の対象でしかないんだぞ。
ほとんど音信不通だった奴が、いきなりSNSデビューしてぺちゃくちゃしゃべり出したらおかしいだろう? 私はおかしいと思う。なんか裏があると疑ってしまう。不信感を与えると思うと、二の足くらい踏む。
考えすぎだろうか? ……いや、私よりもSNSに長けネットの酸いも甘いも経験した情報強者なベテラン勢なら、『え、こいつ何が目的で出てきたの?』とか感づくに違いない!
あ~、だめだ。こと人間関係においては、まだまだポジティブな思考を引っ張ってくるのは無理みたいだ。最悪の予想しかたてられない。怖い。
私に足りないのは『自分を知ってもらう勇気』なのだろう。
わかっている。わかっているつもりだ。でも、やっぱり踏みだそうにも、その『一歩』が重い。
まだまだ私の根底に、『自分は人間としての価値が低い』みたいなコンプレックスが、深く根を張っている状態なのだと思われる。
勝手に人間をランク付けして、勝手に自分の『価値』を『底辺』に追いやって、つまらないことをウジウジと勝手に悩んでからにこもる、ホンビノス貝みたいな人間なんだ。
私がきちんと本音を言える機会なんて、バターソテーにされる前に炭火と網でじっくりあぶられたいまわの際にしか訪れないんだ……シンプルに醤油を垂らすだけでも可。
どうせ貝みたいな野郎なんだったら、某昭和世代を代表する磯野家の栄螺みたいなデカい殻が欲しかった!!
……と、アドラー心理学と相性がいいとほざきながら、一番必要な『変わる勇気』が足りない私は、今日も落ち込みながら一日を過ごす……。
他にも、『個性』つながりで『ありのままの自分・作風』を受け入れるのも、かなり抵抗があるんですよね。
だから私は、安易に他の人の創作論やエッセイなんかに逃げるんだと思います。『自分にあったやり方』は、『自分のやり方でしか確立しない』のに。
何も気にせず、素直で自由な創作ができていた若い自分がうらやましいです……そんな『怖い者知らずな自分』に戻る(=変わる)ことも、『勇気』が必要なんでしょうね。




