39回目 2019/4/23
当たり前かもですが、小説は『誰かに読ませる物』でしょう。
この作品を書き始めてそれなりに経ったが、ふと、思い出したかのようにキーボードを前にして胸が詰まる時間がある。
いつもより少しだけ息がしづらいような、胃が重くなったような、小さな不快感。
私の執筆が遅くなっている原因の一つなのかもしれない。
おかしな話だが、自分の作品を手がけるのに緊張しているのだろう。
人一倍、誰かの視線を気にしてしまうが故に。
どうでもいいこと、どうにもならないことに大きな不安を抱いてしまうのは私の悪い癖だ。
自覚はしている……だが、どうにもならない。
小説を書き始めての頃は、こんなことはなかったように思える。
思いつくまま、自由に、その場の勢いだけで書けていた。
これもまた、若さを失った代償なのだろうか?
無鉄砲な姿勢が、元々大きくなかった自信が、やり続けようとする気力や体力が、どんどん失われていっているように思える。
書きたいという気持ちはある。
でも、書いてみて何かが違うと何度も消すことが増えたし、一向に進まない徒労を先に感じてキーボードを目にすることを面倒に思うようになった。
小説はある程度の知識がなければ面白くならないが、知識が増えるほどそれにとらわれてがんじがらめにされていく気分にもなる。
書きたいことがあって、そのために知識を集めて、表現できることが増えて、選択肢が膨大になっていく。
それをうまく整理しまとめる力が、私にはあまり備わっていないらしい。
無秩序な知識の波に翻弄されて、正面から迫る波がくる度に足を止めてしまう。
波が引けば勢いを利用してより前へ進めるかもしれないのに、私は足から波がいなくなるまで立ち止まって待っている。
そして、すっかり波が引いた地面に浮かぶ知識の欠片から、必要な内容を地べたをはいずるように探すのだ。
もうすぐ新しい波がやってくるのも気づかず、砂浜へ虫眼鏡を向けるような効率の悪いやり方で。
どうも私が自分を客観視すると、いたずらに無様な姿を映してしまうようだ。
それなのに、そんな姿が真実なのだと疑わない自分が確かにいる。
本当に私は、不器用でみっともない人間である。
故に、『読ませるための工夫』で何度も考え、止まってしまいます。
『自己表現のための小説』であれば、多少は駆け抜けられそうな気がするのですが……難しい。




