378回目 2020/3/27
何かあったら創作講座を眺めている自分がいます。
書きたい、でも書けない、どうやって書けばいい? とうだうだ考えることが多い私は、たぶん結構な頻度でネットの創作講座に逃げ込んでいる。
自分でもわからない疑問を見つけようと、どうやれば効率よく物語を書けるのか? を探して他人の創作論にすがっていくのだ。
それは単純な技術論だけではなく、創作をするに当たってのメンタル面についての話であったりもする。とにもかくにも、私には何かを始める前に何度も足踏みをしてしまう。
それなのに、最近ネットで見つけて読んだ創作講座に、グサッと刺さる言葉が掲載されていた。
『作品の質にこだわるよりも、量をこなした方が実力は身につきやすい』
自作のアラを見つけてはつぶしていこうと躍起になる、『質』を気にする私には効き過ぎる正論である。
どうしても自作の要求水準を高くしてしまうのは私のおろかさなのだろう。今やっている長編も、『ただの練習作』と割り切れたらもっと早く筆が進むのかもしれない。
下手に読者がついて評価されたから、よけいに『面白い作品にしなきゃ』と焦ってしまう。『練習』とは思えず、何なら『本番』みたいな感覚で気後れしてしまう。
でも、その講座では『うまくなるまで何回でも失敗していい』みたいなことを書いてあった。『完結させた経験が、少しずつでもストーリー上達につながっている』と。
その流れで書いてあったのは、『三十点のクオリティでいい』というものだ。『質が低くてもいい』、という意見を目にしても、私が要求していた最低ラインが『六十点』だと気づいたため、衝撃が大きかった。
ああ、私はまだまだ『自分への期待が過剰』なのだ――と。
私はプロではない。つたない作品を排出するような若輩者だ。頭でわかっているのに、心で納得していないつもりか。運良く一作が大勢の目に留まっただけの、そこらにいる底辺作家の一人にすぎない。
上達したい。ならもっと、もっと完結作品を増やしていかなければ。短編でいいから、創作論においてよく取り上げられる要素を理解するため、一つずつ理解しながら書いていく。
漫然とではなく、目的意識をきちんと持って『上達』のための『練習』を重ねていく。それが、自分の『理想』を描くために必要な下準備。
今までは『何となく』かつ『手探り』でやってきたことを、『具体的な目標設定』を持ちつつ『スピード優先』でやっていく。
そうした意識改革と実際の行動が大事になる。できるかはわからないが、この道で大成したいならやるしかない。
まず大目標として『完結作品』を増やそう。小目標は『きちんと物語の構成を理解する』とか、『キャラクター作成の基礎を体になじませる』とか、『読者の感情を操作できる展開を理解する』とか、『特徴的な文体を身につける』とか、そんな感じだろうか?
文章だけで物語を広げていく小説という手段にこだわるのだから、最大限自分の物語を魅力的にできるような努力をするのは当たり前だろう。
だから、がんばろう。心がおれてもいいから。
何度も『がんばる』という、挫折してしまうむなしい奮起を書いてきましたが、『小説』からは逃げたくないと思います。
長編はもちろん、今後はなんとしてでも物語を完成させることだけに集中したいですね。ポジティブなうちにポジティブな声を自分にかけていきますよ、ええ。




