370回目 2020/3/19
迷走中の私に必要なことかもしれません。
もしかしたら、本当に面白い物語を作れるようになるために必要なのは『誰かに読まれたい』という意識を捨てることかもしれない。
『誰かに読まれたい』は『承認欲求』のあらわれであり、『他者』しか意識していない欲求でもある。
自らの『向上心』を育てるためには『自分』を意識しないといけないため、『承認欲求』は『自助努力』の妨げにしかならないのではなかろうか?
乱暴な論理かもしれないが、私もまた『他人に無様な物は見せたくない』という少々ひねくれた『承認欲求』を抱いていたので、『見られている・見られたい』という意識からの脱却は重要だ。
思い返せば、今では新たに手を着けるのも面倒くさくなったり怖くなったりしている長編も、最初は『自分が読み返して楽しむため』に書いたはずだ。
『誰かに読んでもらいたい』のではなく、『自分で楽しみたい』その一心でバカみたいに百万文字以上も書いてきたはずなのである。
しかし、やはりPVやブクマから読者として可視化される人数が増えてくると、『自分だけが』とは考えられなくなる。人の目を気にして、攻撃されたくないから保守に走る。
自分がやりたかった展開や、自分が見るだけなら『これでいいや』と思える妥協ができなくなっていく。
すると、自分の作品を修正する時に評価が厳しくなり、続きを書いていくことがどんどん苦しくなって、書く気力すら無意識に奪われていく。
私の長編もストーリーの続きはまだまだあるのに、ほとんど筆は止まったままだ。投稿序盤にあった『好きなように書いてやろう』という気持ちもほとんど思い出せない。
もちろん、一定の評価を受けることはうれしいし光栄だ。が、あんまり注目を集めすぎるのも作者にとっては毒になり得るのだろう。
人それぞれではあるが、もしかしたら私の場合『ポイント評価』や『感想欄』を閉じた方が、『やる気』の面では長続きするのかもしれない。
元々は『自作が人からどう思われるのか気になる』程度の認識で、今は『読者の参加する楽しさ』があると思っているので、今さら閉じようとは考えていないけれど。
約一週間前に投稿した作品は、ジャンルのせいかクオリティのせいかほとんど読まれていない。が、あんまり私自身ショックに感じない。
むしろ『読まれていないデータ』が明確なため、気分が軽いくらいだ。『読まれる努力をする』ことと、『読まれて感じる』ことに致命的なズレがあるのは我ながらどうかと思うが。
ともかく、『書くためのモチベーション』を減らさないためにも、私は『他人への意識』を創作活動から排除していった方が良さそうだ。
そもそも『ネット見知り』な私なので、多くの人と交流を持ちたい! と心の底から思えるとは思えないし。
『自作の読者は自分だけ』……執筆時のスローガンとして、家の壁にでも貼っておくといいかもしれない。
長編は気づけば読者が増えているので、時間が経つごとに怖くなっていく感覚がありました。
それも『大勢の人に見られている』という自意識過剰がもたらした幻想なのでしょう。『承認欲求』を捨てれば、もう少しだけ執筆意欲がわいてくるでしょう。




