364回目 2020/3/13
私の作風って、簡単なようで難しいのかも? というお話ですかね?(知らん)
『なろう』のエッセイで『ヘヴィなキャラクタって扱いに困りますよね』という作品を見つけた。
私がのぞいたときには日刊エッセイランキングの上位にいたもので、厳密には『イラスト』のキャラクターから派生した意見みたいだったが。
とはいえ、私が気づけばよくやっている『ダーク・シリアス系』のお話に通じるものかと思って読んでいた。
私なりに内容をかみ砕いてみたところ、要は『見た目からして『重たい設定(濃厚な人生経験)』がありそうなキャラって、細かい仕草から表現しなくちゃならないからムズい』ってこと。
その方いわく、歩き方やたばこを吸うなどの仕草、話し方に物事の考え方など、その人が意識しないであろう部分から『どう動くのか?』が見えてこないのだとか。
あとは、そういうキャラが中心の作風だからって、序盤から一気に出すと『濃いキャラの渋滞』が起きて絵面がうるさくなる(これは『イラスト』目線かも?)らしい。
まあ、小説でやるなら『濃いキャラたち』の中に『一般人代表の主人公』をぶち込んで口直し……もとい清涼剤代わりにするのが妥当だろうか? 典型的な『巻き込まれ系』のストーリーになるが。
あと気になった意見として、その方は『非現実的な方向でキャラの性格を濃くしない』というのがあった。
理由が『ダーク・シリアス系』のストーリーと、ラノベにありがちな『誇張されたハチャメチャな性格』のキャラと相性が悪い――厳密には『メインターゲットになる読者』との相性が悪いからとのこと。
言われてみればそうで、典型的な『ラノベ』と呼べるものを好む人は『重たい話が苦手』であり、『非現実的な性格』のキャラが『コメディ』っぽく暴れるのが好きなので、水と油みたいな関係といえる。
そういう視点で考えると、私が書きたい・書いてきた作品って『ラノベ』を自称していても、主要読者層からは若干はずれた人向けの話を主軸にしてきたんだなぁ、と改めて思った。
とはいえ、私はキャラの扱いにくさなどを感じたことはあまりない。『動かしたいキャラ』ありきで『過去設定』を考えているからだ。
たとえば【普通】の主人公を『ひねくれた性格』で書きたいと思ったので、性格のゆがむ要素として『家庭・生活環境のいびつさ』や『成功体験の少なさ』みたいなものを『掘り起こした』感じになったし。
ある意味、私のキャラ造形は『演繹法(一般的な前提を証明するために、たくさんの事実を提示して結論とする方法)』に近い。体感的には楽な作り方だ。
それはそれとして、『設定が重いキャラ』を動かす舞台の演出や構成がその方にとって悩ましいらしい。私は意識したことがなかったが、『キャラの濃さ』によって『物語の背景の濃さ』をどうするか? みたいなバランス感覚にはセンスがいるらしい。
『キャラの濃さ』と同じくらい『世界観の濃さ』を高めて雰囲気をガチガチに守るのか、逆に『世界観』を薄くしてキャラをより際だたせる方向性で活かすのか? みたいな。
私は長編だと前者、短編だと後者になりがちかもしれない。単純に、短編で『濃い世界観』を作るほどの気力がないだけかもしれないが。
他にも、『キャラが濃い小説』に善し悪しはある。設定を割と細かく設定しておけば脱線はしにくくなるが、準備や確認に手間がかかって書くのが遅れる(←イマココ)のなんてザラだ。
長編のつもりで書いてきて、物語がある程度進むとよけいに、それまでばらまいてきた伏線とか整合性の確認が大変になる。
しかも、書けば書くほどその確認作業に必要な時間や分量に圧倒されてしまい、現実逃避気味に短編に逃げやすくなる(←イマココ)なんてのもあるあるだろう。
長編を完結させるのは、半端な覚悟なんて許されない不屈の精神力がいる……改めて反省するきっかけになった。
あれに近いですね、夢中で木登りしてきたけど途中で下を見てしまって降りられなくなる、みたいな。
自分でやってきたことなんですけど、後になってその積み重ねと向き合うのが怖くなる――笑い話みたいですが、本当に笑えないんですよね、これ。
とりあえず……『推敲』だけでもがんばろう!




