362回目 2020/3/11
小説の描写量についてですけど、極論として結論は一言で済むよな、という話です。
なお、どこかでやった記憶があるネタなので、読まなくてもたぶん大丈夫です。
『読者層の需要に合わせて描写密度を変える』――八方美人作家を目指すにせよ、自分の作風を貫くにせよ、結局はこういうことになる。
『読み速』さんでの話題で、小説の描写に関して『もっとディテールがほしい』みたいな意見が多い――という流れから意見をまとめた記事があったので目を通したのだが。
身も蓋もないことを言えば、『人の好みはそれぞれ』ということに行き着いてしまう。最近、この言葉に勝てるイメージがわかないのは私が作家として負けているからか……あるいは人として?
設定や場面に対する描写において、読書における『好み』の他には『習熟度』が関係しているだろう。やはり、文字媒体の娯楽に親しみがあるかどうかで印象が変わるのは仕方がない。
その記事で集まったコメントから推測すると、『文字・長文を読み慣れていない人』だと過度な描写は『うっとうしい駄文』にしか見えないのだろう。
中には『キャラクターが立っていれば、詳細な描写はいらない』という人もいて、『四コママンガの感覚に近い』と別の人が指摘していたので、なるほどと私も思った。
さらには『状況に合致する単語さえ配置してくれれば、背景は自分(読者)が想像する。細かい説明・描写があると、むしろ邪魔』と感じる人もいる。
これは『なろう』でよく見る『中世ヨーロッパ風』で世界説明をすませるかどうか? みたいな話題で、たとえば『教会』とだけ書くか『カトリック式の教会』や『プロテスタント式の教会』と書くか、の違いになる……のかも?(なお、私は両者の違いはわからん)
『なろう』の議論でよく出る『中世ヨーロッパ風』と称したシェアワールド的共有概念だと、『みんな知ってる=今さら細かい描写なんていらない』となりやすい。
また『中世ヨーロッパ風=ド○クエ系JRPG風』との連想から、ファンタジー系RPGをプレイした人ならわかるだろ? とこちらも暗に『知ってることを前提にしている』ので描写は省いてもよいと考えがちになる。(読者も作者も)
こうした積み重ねによって生まれたのが『なろう系』と呼ばれるウェブ小説の類型だとしたら、『なろう系』を純粋に楽しみたい人にとって、『細かい描写』は『ストーリーのテンポを遅らせる無駄』でしかない。
スマホやネットやSNSの発達で『文字を読む人』は昔と比べて増えたものの、『長文を読む人』は昔と変わらず(もしくは昔より減少傾向)にきていると思われるため、『より大勢の人』に読んでもらいたければ『描写を極端に減らす』くらいがちょうどよくなるのでは? と考える。
ジャンプのマンガでたとえるなら『ブ○ーチ』とかが近い系統に思う。キャラの見せ場を目立たせるためか、この作品は背景が真っ白になる場面が多い印象がある。
もちろん、キャラの描き分けが抜群にうまかったこともあるだろうが、連載が終了してかなり時間がたった今でも『キャラの名前・能力・姿・印象』などが『敵キャラも含めて』思い出せるのはかなりすごい。
それだけ『キャラクターの演出力が高い』証明であり、『作品』に限らず『作者』の名前を強く印象づける効果があったと思われる。(オサレマンガなどと、一部ではネタ扱いされている部分も含めて、『読者の記憶に名前を残した』のは本当にすごい)
一方で、記事に寄せられたコメントの中では『一口に『繁華街』と言っても、『歌舞伎町』なのか『すすきの』なのか『中州』なのかで、外観も雰囲気も違う』みたいな主張があった。
上述した人は『描写が多い方がいい派』と思われ、そういう人は『作者がイメージする世界をなるべく細かく脳内イメージで再現したい』と考える傾向にあるようだ。
私も『ある程度は小説を読み慣れている方』なので、描写が多いと読み応えがあっていいと感じる。ただし、『なろう系』を主流とする人には難しいだろうとも思う。
書籍の『ラノベ』を読んだことがある人ならわかるだろうが、『なろう系』と『ラノベ』でも描写量はかなり違う。ストーリーのテンポに違いはないものの、平均して『ラノベ』の方が描写はやや多めだ。
まあ、私の『ラノベ』の基準が2010年以前なのでかなり古い情報ではあるのだが、それでもあくまで『なろう系』と比べれば『情報量が多い=読みづらい』のは今も変わっていないと思う……思いたい。
なので、私の中では『紙の商業書籍に触れたか否か』で『描写のディテール』に関する好みが大枠で分かれると考えている。もしくは『縦書きと横書き』の違いか? わからん。
というわけで、『小説を読み慣れるほど細かい描写が好きになる』傾向は間違いなさそうなため、『描写に凝りたい=ライト読者層はすっぱりあきらめる!』くらいの覚悟がいるだろう。
ジャンプマンガのイメージだと、こちらはもろに『ワ○ピース』だろう。数年前くらいから作風として、背景の書き込みとか目がチカチカするくらい細かいことが多いし。
イーストブルーあたりの段階ではそれほどびっしり書いていたイメージはないものの、ストーリーが進むにつれて徐々に書き込み量が増えていき、今では扉絵や背景やモブの中にネタを仕込むことも多い作品である。
これは熱狂的なファンを多数取り込めたからこそできるお遊びなので、最初からやってもうまく行かないのは明白だ。長年、一定以上の人気を保ち続けた作品だからこそ許されて喜ばれる手法だろう。
とはいえ、やっぱりどこまで行っても『作家の描写力』は『物語を引き立たせるための技術』にすぎないので、『面白い』と思わせられなければ宝の持ち腐れにしかならない。
たとえるなら、巨匠の贋作を作る腕は一流でもオリジナルだとぜんぜん売れない、みたいな感覚だろうか? 技術だけ上げても、総合評価が劇的に底上げされるわけではない。
どうせなら作風に見合った適切な描写量を選べるくらい、書き方に幅が利かせられたら面白いとは思う。『なろう系』も『ラノベ』も『大衆小説』も『純文学』も全部書けるくらい、表現の範囲が広がればいろんな挑戦ができるだろうし。
実際はそんな器用なまねができる作者なんて、一握りもいないだろうけど。というか、それができる人ってつまりかなりの雑食系本の虫ってことに……それになることがまず難しそう。
ギャグ・コメディ路線だと細かい描写よりも作品のノリやテンポが重視されますし、ダーク・シリアス路線だと細かい描写がないと作風に入り込めないイメージがあります。
描写量って、どういう物語に作りたいか?(作者の都合)と、どういう人に読んでほしいか?(読者の都合)を考えて決めるくらいしか、お互いが幸せになれる結果は出ないと思われます。
かく言う私は、主に楽しんでいた媒体が『ラノベ』なので、描写力って割と半端なんですよね。『なろう系』ほど少なくもなければ、『大衆小説』ほど多くもない。
どうせなら行くとこまで行って『特化型』になりたい! って考える方なので、ちょっとは描写力を鍛える訓練をした方がいいのかな? と思わなくもないです。




