36回目 2019/4/20
今朝は所用で朝の七時頃に寝ました。
一時期、夢日記を付けようとしたことがある。
発想力の訓練として効果がある、という話を聞いたことがあったからかもしれないし、単純にネタにできるかもしれないと思ったからかもしれない。
とはいえ、人の夢とは文字通り儚い。
目を覚ましたらほとんどその内容を忘れてしまう。
ちなみに、私が一番最初に見た夢としてよく覚えているのが、小学校に上がる前後の頃。
下に雲が漂うような高所で、私は一本の巨大な岩の柱に立っている。子供の私が立っているだけで精一杯な、かなり狭い足場だった。
正面には同じ岩の柱が一本そびえており、その柱と柱の間には縄と木の板でできた長い架け橋がかかっていた。秘境とかで見るヤバめの橋を想像してくれたらいい。
そして、向こう側の柱の上には、真っ白で神々しい洋式トイレ。
夢の中の私は、膀胱がもはや決壊寸前。
おそらく、生涯において初めての試練だった。
トイレに行きたい、でも下手すれば死ぬかもしれない。
生理現象か、死か。
この究極の二択で、幼い私が選択したのは生理現象の解消だった。
一歩、足を進める。
橋が揺れるし軋むし、たった一歩の衝撃で腹をえぐるような痛みが走る。
辛い。
逃げ出したい。
でも、この年(具体的な年齢は覚えていない)でお漏らしなど、許されない。
このとき、岩の柱の上から立ちションという発想は私の中にはなかった。
幼くとも、私は人間の矜持として、『便はトイレで』という信念を持っていたのだろう。
進む、進む。
半分ほど渡ったところで、もはや前屈みだ。
生きてきた中で最大の苦痛(生後五年程度だったはず)を味わいながら、私の足は一歩も引かない。
あ、後半が若干上り坂……神は私にどこまでも試練を課すらしい。
歩いた。
必死に歩いた。
もう半べそで、額からびっしょりと汗が噴き出している。
内股でひょこひょこと、情けない歩き方にも関わらず、それ以上の恥をかかないために、自分の名誉のためにひたすら歩き続ける。
そして……私はたどり着いた。
約束された楽園に。
得も言われぬ達成感を味わい、私は自然と笑顔になっていた。
便座をあけ、ズボンをおろす(このとき私が履くズボンに『社会の窓』という概念はなかった)。
我慢していたすべての苦痛を吐き出すように、力を抜いた。
私は、あのときほどの爽快感と開放感を味わった経験は、今を振り返っても存在しない(※誇張表現あり)。
すべてが終わった。
そう思った、直後だった。
――夢は、醒めたのだ。
薄目から見えるのは、見慣れた天井。
温かい布団と、温かい股間。
広がる。
広がっていく。
まさか。
そんな。
間に合った。
私は間に合ったはずだ。
叫びたくなる衝動を押さえ込み、ゆっくりと、掛け布団をめくる。
そこには……残酷な現実だけがあった。
救いも慈悲もなかった。
夢の中の爽快感と開放感は、一転して無力感と絶望感に塗りつぶされた。
私は……泣いた(たぶん)。
この日以降、私の中で神は死んだ。
おそらく、眠っている間に肉体の限界を迎えているほどの尿意が見せた幻が、あの夢だったのだろう。
だが、今でも私は思う。
このオチはあんまりじゃないか、と。
そして次に目と頭が覚めたとき、夜の七時頃でした。
おそらく、平成最後の個人的ミステリー。




