359回目 2020/3/8
恋愛系の小説で『幼馴染み』というワードが多く見られるようになり、エッセイでも題材になっていたので少し考えてみました。
エッセイランキングで上位になった作品のうち、私が目を通したのは一つくらいだった。
各エッセイのタイトルで明示している、『幼馴染み』要素と『ざまぁ』要素を合わせた内容の流行について、何となく批判的というか否定的な意見が多い印象がある。
まあ、新しい要素の組み合わせを用いられた新しい試みからきた流行なので、賛否が分かれるのもわかる。
私が読んだものは、フロイトの精神分析におけるエディプスコンプレックス(詳しくはググろう)の亜種みたいな論調で展開されていたが、ぶっちゃけ刺さらなかった。
一応、心理学を専攻していたので触りは知っているものの、フロイトの考え方は『心理学の初期に登場した原型だけど、内容は話半分でちょうどいい』、くらいにしか思っていない。
フロイトはいろんなものを『性欲』に結びつけた論調をしているため、『あ~、なるほど?』みたいな反応になるのだ。理解はできるけど、納得はできないみたいな。
それはさておき、私が少し気になったのは他の方が『幼馴染み』をどう定義しているか? だった。
辞書的な意味で言えば『子供の頃から親しくしていた人』となるが、果たして『具体的に何歳くらいからのつきあいか?』という話である。
正直、私は『幼馴染み』という間柄を多用したくないなと思っている。主人公以外のキャラであればやぶさかではないが、主人公の『幼馴染み』となると二の足を踏むことが多い。
その理由として一番大きいのが、上述した『幼馴染み』の定義にある。
私の場合、『幼馴染み』とは『未就学児未満から現在まで維持された交友関係』か、もしくは『小学校低学年以降で一定期間を家族同然の親密度で過ごす』ことが条件になっている。
自覚はあるが、私の『幼馴染み』判定は割と厳しい。『小学校からずっと同じクラスだった』程度なら『顔馴染み』と評価するだろう。それか『腐れ縁』か?
それはおそらく、私が田舎の二クラスしかない小学校で過ごし、緩い判定ならほとんどが『幼馴染み』になってしまう環境にあったからだろう。
良くも悪くも、私も『幼馴染み』を特別視しているところは否めない。それでも、『幼馴染み』とは『ただの友達』や『親友』とも一線を画する関係だ! というのが私の価値観だ。
で、だ。
私の判断基準で言う『幼馴染み』が、創作の中でどのような存在になるかというと――ぶっちゃけ『義兄弟(あるいは義姉妹)』に近い認識になる。
他人と言うにも恋愛に発展するにもお互いを知りすぎているために、『気づいたら特別扱いの仕方がわからない存在』、とでも言おうか。
恋愛で進めるなら関係を変えるきっかけを与え、一歩進めるかすべて壊すかを決定するところだが、それまでの『幼馴染み』は『時にはうっとうしくても、近くにいるのが当たり前』な人である。
そんな私の考えからしたら、『幼馴染み』を『ざまぁ』っていうのはちょっとピンとこない。ので、日刊で見つけてもまだ読もうと思ったことはない。
根底の考え方からすれば、『幼馴染み』+『ざまぁ』と私の相性は『悪くない』はずなのだが、ここらへんは不思議である。
まあ、元々私が『ざまぁ』をそこまで楽しめたことがない、というのが大きそうだけど。最初にどれだけ大きな数字を置こうが、『0』で乗算すれば結果は『0』にしかならない。
結論として、『幼馴染み』がどうこうより『ざまぁ』が好みに合わないだけなのだろう。
何だろう、『幼馴染み』関連の話が全部無駄になった気がします。
こんなんでいいのかな、私の雑記って。




