334回目 2020/2/12
共感する話題を見つけました。
ある『読み速』さんの掲示板系まとめ記事にて、『小説などを書いていると自分がいかに無知かを思い知らされる』みたいな話題があった。
その上で、『執筆中に気になったことを調べていく中で知った知識を、作中で全部書き出す勢いで載せたら引かれた』的なことも書かれてあった。
この『自分の無知』を自覚する瞬間は執筆あるあるで、ふだんの生活じゃ気にならなかった物事が、ストーリーの中でクローズアップされると気になって仕方がなくなるのだ。
上記の考えを示した人も私も、気になることがあったら調べたくなって知識の不足を埋めようとするのだが、『せっかく理解した知識をアウトプットしないのはもったいない』という衝動に駆られることがある。
前述の通り、記事の中心コメントを書いた人は細かく書きすぎてダメになったパターンがあるようだが、私の場合も無意識にそんな失敗をしている可能性がないでもない。
特に私は生粋の貧乏性のため、自分にとっては必要に応じてのつもりで、設定をなるべく作中で披露していこうとする。
こうした自己満足が、拙作の文字数が積み上がる問題に反映されているのかもしれない。といっても、実際は大したことを書けていないと思うが。
ただし、又聞きの知識をひけらかすだけにならないようにはしたいと思っている。私の主戦場がファンタジーであり、『私の世界観』へ落とし込む必要があるためなおさらだ。
たとえば最近(約四ヶ月前)に更新できた長編においては、『五等爵』の考え方や『ギロチン』などについてネットで調べて物語に反映したが、ファンタジーさまさまの独自ルールを採用させてもらっている。
『五等爵』はぶっちゃけウィキ先生の内容を読み込んで、私なりの解釈を経た物を載せたので正確な知識かすらわかっていない。
ただ、説明ではだいたい『ナーロッパ』と呼ばれる共通認識の範囲に収める内容にとどめたつもりだ。若干の変化はあったと思うが。(実はうろ覚え)
あとは、長編内ですでに『中世ヨーロッパ風』みたいな言葉を使ってしまっているため、『近世ヨーロッパ』あたりで活躍した『ギロチン』についても『存在している体』で話を進めた。
前に紹介した、ジョージ・ルーカス氏の『俺の宇宙では音が伝わるんだよ』理論である。文明の進み方なんて、平行世界の数だけ違うんだからそれでいいのだ。
とまあ、多少の開き直りをしつつも私の知識不足による劣等感は死ぬまでつきあうものなのだろうなぁ、と考えるとぞっとする。
それこそ、私の長編主人公のように世界の摂理を把握できるレベルの超能力があれば、知識不足にさいなまれることはないのだろうか? ……それはそれで頭やられそうだけど。
知識だけじゃ物語は作れませんけど、知識がなければ物語は面白くなりませんからね。
情報のさじ加減って本当に大事ですけど、最終的には『削る力』が読みやすさ・面白さにつながると思うと、難しい限りです。




