33回目 2019/4/17
今日も今日とて、生存確認をこしらえました。
人を傷つけることを何とも思わない人は人間として軽蔑しますが、作家としては一部尊敬している。
というのも、私が書いた作品を読んだらわかることかもしれないが、罵倒のバリエーションが乏しいのだ。
まともな喧嘩をした経験が少なく、口げんかですらあまりない。
喧嘩に発展する前にこちらが折れて謝るか、ヒートアップする前にこちらから矛を収めて早めに鎮火しようとするのが原因だろう。
根底にあるのは、人と争うことが嫌いだから。格好つけて言えば、平和主義者なのだ。
が、年を重ねると理由がいくつか上乗せされて、その一つに『怒ると疲れる』というものがある。
ここで繰り返し言ってる気がするが、私はかなりの面倒くさがりだ。
体力もない。一時期やっていた筋トレなどもやっていないので、よけいに疲れやすくなった。
そんな私が、『他人に怒る』というエネルギーの無駄を省こうとするのは自明だったのかもしれない。
誰しも経験があることだが、『怒る』のに必要なエネルギーとストレスは相当だ。
社会を構築する人間という種の中において、協調すべき他者とわざわざ諍いを起こすのはそれだけでデメリットも相当こうむる。
それが期待であれ失望であれ、他者へ向ける関心の強さも『怒り』の大きさに影響する。
そして、爆発したときは気にならなくとも、『怒り』が過ぎ去った後に襲われる徒労感と罪悪感と虚無感は、個人差はあるもののとてもだるい。
謝れと言われればすぐに謝れるが、その後は自分から『怒った人』へ関われる自信はない。
何故なら、誰かに私を否定されたくないから。
だから今は、誰かから否定されないために、私から誰かを悪し様に攻撃することを意識的に放棄している。
とあるアニメの名言を拝借して言い換えると、『撃たれる覚悟がないから、撃たない』のだ。
なんだか理論展開が分散したが、主張としては『キレた人間の語彙力がほしい』である。
さすがに『キレた人間の状態がわからない』ほど感情が欠落してはいないと思うが、経験が少ないとキレたときの語彙や表現が一辺倒になりがちで困るのだ。
よく私が作中で使う語句は『クソ』だが、正直なところ小学生の域を出ない。
私としては悪役も一定以上とがらせたい気持ちもあり、『ブラックラ○ーン』的に小粋なジョークで揶揄するような悪口合戦は素直にすごいと思う。
ぶっちゃけアニメしか知らないが、台詞回しにある種のあこがれは芽生えた。
皮肉っぽいものなら何とか書けるが、純粋な悪口は自分が使わなかった分ストックが足りない。
別にダーク・ブラック系の作品で悪口雑言を多用し、キャラの台詞を罵倒一色にしたいわけではない。
大事なのはメリハリだ。
自分が見たいだけの綺麗事を詰め込むだけが、私の書きたい作品ではない。
醜さの中に美しさを秘める、未完全だからこそ魅力的な『人間』という生物を描きたいのだ。
……まあ、読む側としてはかなり雑食でテキトーだが。
内容は非公開にしてた方がよさそうですけどね。




