313回目 2020/1/22
とあるアニメを見ていたときの所感です。
どうやら古いっぽいマンガ原作の、『ドロヘドロ』というアニメに関して。
わざわざ『この作品には物語の都合上、残虐なシーンが多くあるので注意してください』みたいな注意書きがでたため、一話からすごい新鮮な気持ちになったものだ。
そんな前置きをしておかなければならないほど、スプラッタシーンが満載なのか? と思った矢先にいきなり殺し合いのシーンからだったので、すごい納得の注意喚起でもあった。
内容に関してはまだはかりかねているので、『無理だ』と思うまでは視聴し続けようと思う。
ただ内容よりも気になったのが、『作品の尖り具合』だ。
私のエンタメ作品における守備範囲が狭いだけかもしれないが、この作品なかなかにぶっ飛んでいる。少なくとも、一般受けはしない作風なのは確実だろう。(作者様には申し訳ないが、個人的な意見だ)
ある程度の暴力表現を受け入れられる、という意味でR15以上な世界観や描写であることは間違いない。
最近は昔のヒット作がアニメになる(リメイクされる)ことが増えたのでその一種かな? とも思いつつ、なんかこう、いろいろと『濃い』作品なのによく選ばれたなと感じてしまう。
『深夜アニメ』の枠組みから考えたらこれ異常ないほど適切なコンテンツであるとはいえ、すごい立派にディストピアやってる感がちょっとクセになりそう。
こういうマイナーっぽい作品に出会うと、少し前にも考えた『個性』について考えてしまう。
私は『なろう』での活動が長くなっていって実感したのだが、思いつくネタが『テンプレの変化球』とか『テンプレ大喜利』みたいなものしかなくなっている。
ネタが思いつかないよりマシかもしれないが、やっぱり『個性』とか『独自性』とかも欲しがってしまう。『メジャーなものの代用品』よりも『マイナーなオンリーワン』の方がよっぽど魅力的だ。
が、そんな作風を構築できるほどの人生経験もなければ、私の中に広がる精神世界が深いわけでもなく、多様性があるわけでもない。
インターネットの普及によって、やろうと思えば『知識・思想の平均化』が簡単になった時代だからこそ、『その人だから構築できた価値観』というものが生じにくい。
『共有できる』ことがよしとされる社会において、狭い世界の中で『独立できる』ことなど本当に難しい。それこそ、スマホもパソコンも使わない(存在しない)生活でないと不可能だろう。
利便性の向上によって価値観の平均化が進むと、『こうしていればウケるだろう』みたいな購買意欲をそそるためだけの共感メソッドがより優位となり、『独自性』が支える『芸術性』が失われていく……ような気がする。
『なろう』も『テンプレ批判』が今でも多い頻度で行われているにもかかわらず、評価点が高いのは『テンプレ』を踏襲した作品が多い。(不正などは問題外だが)
他にも『モノマネ番組』を見ていると、コロッケさんみたいなコメディタッチの『デフォルメ』系よりも、圧倒的に青木隆治さん(漢字が怪しい)みたいな『形態模写(コピー元を忠実に再現する)』系の人が多くなった気がする。
コロッケさんのモノマネ芸の大半は、内容によってはコピー元からめちゃくちゃ怒られそうなネタが多いものの、きちんと『面白い』し『(雰囲気? が)似ている』し『コロッケさんの世界観』がわかりやすい。(友近さんとか横澤夏子さんとかもこっち系?)
一方、『形態模写』によるモノマネ芸はクオリティが高いと本当にすごいが、『個性』という意味では『コピー元から拝借しただけ』で、『その人(=モノマネ芸人)じゃなくてもいいネタ』とも考えられる。
まあ、中にはニッチローさん(だったかな?)みたいな『コピー元のライフスタイルも含めた人生ごと寄せていくモノマネ』などもあるため、『形態模写=没個性』ではないだろうけども。
よって、『モノマネ芸』にかんしての『個性』は視覚的エンタメであるため『表現方法』で大きく左右される。上記の例を絵画でいえば、コロッケさん系は『印象派』で形態模写系は『写実派』みたいな?
ひるがえって『小説・ラノベ』において『個性』を出せるとしたら、物珍しかったり真新しかったり感じる『世界観』とか、描写を盛って読ませる『文章力』とかのような気がする。
注釈で『奇抜すぎない範囲で』とはつくものの、文章のみで作家が出せる『個性』などたかが知れている。
なので『個性』が欲しければ『あまり見かけなかった属性を掛け合わせた新鮮な世界観』か、『他人では思いつかないだろう切り口や感性での比喩や描写』を見つけ、磨くしかない。
さて……今の私に、新たな『世界観』を開発できるだけの力や、他人に誇れる『文章力』を身につけられるだけの力があるだろうか?
――いや、ないな。(反語)
…………こうして、今日も私は迷走する。
ただし、アニメの内容に関する感想ではありませんでした。
他の作品でも、特定のシーンや台詞などで割と自分の考えに飛び、世界観に没入できなくなることが多いので、純粋な視聴者としては中途半端な自分です。




