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306回目 2020/1/15

 今回は『なろう』で見つけていたエッセイを読んでの感想? です。


 前書きの表現が少々おかしいかもしれないが、事実その通りなので表現のしようがない。


 私は基本的にスマホで『なろう』作品を読んでいるのだが、創作に役立ちそうなエッセイを見つけるとブクマに入れず、そのページをタブで開いた状態のまま放置するクセがある。


 いつでも読み返せるように、と考えてのやり方だが、まあタチの悪い読者のやり方だろう。PVはついても、ポイントもブクマもつけないステルス読者なのだから。


 一応、読み切ったあとはポイントもつけるし、場合によってはブクマをつけて本棚に保存するが、それまではステルス読者のままひっそりと読む機会をうかがっている状態である。


 ……とまあ、そこまでが前置きだ。


 大事なのは、いつだって作品の内容である。


 私が最近になって読んだのは、初回投稿が四年くらい前の『『テンプレ』小説を書くのは本当に面白いのか?』というエッセイだ。


 更新が止まっているので、これを書いた作者様が現在も『なろう』でアクティブに活動をしているかは知らない。作者ページなどあまり飛ばないので。


 それはさておき、私が気になった項目はというと『騎士道』と『武士道』に関する記述だった。目次の最初の方なので、あんまり読めていないという事実には気づかない振りをしていただけると助かる。


 その内容をざっくり説明すると、『騎士道』と『武士道』の違いは『行動の責任を『他者』に依存するか『自身』に依存するか』、みたいな感じだった。


 そもそもこのエッセイでは、タイトルにあるように『テンプレ小説』に疑問を抱いた作者様の、『創作時にこういうところを意識してみては?』という提案の形式で行われている。(少なくとも、私はそう受け取っている)


 その中のいちテーマとして挙げられたのが『騎士道』と『武士道』であり、キャラクターの根本を示す精神性についての一例を示した形になる。


 で、『騎士道』と『武士道』では求められている精神性にほとんど差異はなく、人間の善性を貫こうとする姿勢・生き方を掲げている場合が多い。


 しかし、作者様の調べによると両者の違いは『信念を向けるべき対象』であるという。


 まず『騎士道』においては、『(つか)える(あるじ)』が必要不可欠な存在であり、自らの行動はすべて『(あるじ)のため』を想って行われる。


 さらには、『自身の行動』と『(あるじ)の評価』が密接につながっている意識から、自らを(りっ)し誇りある生き方を示そうとするあり方はすべて『(あるじ)のため』が最優先になる。


 騎士が従う相手=『(あるじ)』はほとんどが高貴な身分にある人(王族、特にお姫様のイメージ)なので、自身のうかつな行動で『(あるじ)』の評価を下げることは絶対避けねばならない、みたいな考え方だ。


 なので『騎士道』は『(あるじ)』のため――『他者』のために清く正しい生き方を貫こうとする精神性を指しているのだそうだ。


 対して『武士道』は、仕事や役柄的に騎士との違いはあまりないのだが、時に『(つか)える(あるじ)』への裏切りを『場合によってはやむなし』と考えるところが決定的に異なる。


 エッセイの作者様いわく、『武士道』は『自分の行いは誰にも恥じることのない生き様をしているかどうか?』が重要であり、『自らが掲げた信念』に背く行為は『武士の恥』になるのだという。


 上記の『(あるじ)への裏切り』においても、『(あるじ)』の行いが武士にとっての『悪』に属するものであれば遠慮なく忠告し、聞き入れなければ『これ以上の恥をさらすな、いさぎよく腹を切って死ね』と迫るのが『武士』にとっての『正しい行い』になる。


 つまり、『武士道』は『信念』のため――『自身の誇り』のために誰にも恥じない生き方を貫こうとする精神性を有しているのだとか。


 以上、今まであまり意識したことのなかった部分なので、私も感銘(かんめい)を受けたためここでも書いてみた次第である。


 そして、ふと自分はどちらの精神性を好むのだろうか? と考えたとき、断然『武士道』だなと気づいた。


 なぜなら拙作(せっさく)【普通】の主人公を思い出すと、行動原理がほぼ『武士道』だったからである。


 誰に理解されなくてもいいし、自分の正しさが間違っているかもしれないが、誰よりも『自分』に恥じない『自分』でありたい――という反骨心を持ったキャラ(に設定したつもり)だからだ。


 主人公にそんな気骨を仕込んだのなら、私の好みは『武士道』なのだろうと同時に、『武士』に()かれる自分ってやっぱり日本人だなぁ……と感じたのだった。




 余談だが、ラノベの主人公から区別すると『騎士道』は『巻き込まれ型』が多く、『武士道』は『なろうテンプレ型』が多いのではないか? と推測する。


『巻き込まれ型』は私のイメージだと『ヒロイン(=疑似的な(あるじ))のためにがんばる』みたいな主人公が多く、だからこそ受け身的・対処療法的な行動が主体になるのでは? と思う。


 一方『なろうテンプレ型』だと、『自分の欲望(=独善に近い信念)のためにがんばる』みたいなイメージが強く、行動が受け身でも精神構造は能動的・主体的な動きをするのでは? と思った。


 統計などを取ったわけでもない、単なる私の印象なので正解と断言はできないけど。


 なお、この分類でいけば今期にやっているアニメ『異世界かるてっと』だと『リゼロ』の主人公が『騎士道』型で、残りはぜんぶ『武士道』型に当てはまると思うのだが、実際はどうなのだろう?


 そう考えると、やはり『なろう』における男主人公では『騎士道』よりも『武士道』の方が好まれるのか? と思わないでもない。


 ただし、悪く言えば『騎士道』は『他者への依存』に、『武士道』は『独りよがり』になりがちなため、用法用量が大事なのはどんなものでも変わらないのでしょうね。


 まあ、私が自分への自信が欠如した人間なので、自分が信じられる『精神的に強固な柱』を持っている人にあこがれるのかもしれません。


 何にせよ、私は依存よりも自立の方が()かれるから、主人公を『武士道』よりにしたのは確かです。自分にないものだからこそ、あこがれはより強くなるのですから。


『騎士道』も格好いいですけど、私は主役として描くイメージがわきませんね。他人に気を使いがちな生き方をしてきたため、無意識のうちで『騎士道』の本質に息苦しさを覚えてしまうのかもしれません。


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