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290回目 2019/12/30

 もう年末なので、総括みたいなことをやってみようかと。


 とはいえ、私の全体的な活動というより、この雑記に関するものが中心になるけれど。


 最近は毎日更新とはならず、隔日(かくじつ)更新になりつつあるがなんとか300日にもう少しで届こうとしている。継続の意味では、立派な成果だったと言えよう。


 まあ、内容はかなり謎な物から政治・創作に触れる物まで、私が衝動に駆られたり興味を抱いたりしたあれこれを書き殴っただけなのだが。


 もしかしたらこうした総括も投稿から一年後(365回目)にやるべきなのかもしれないが、年末だから仕方ないよね。今年の汚れ、今年の内に。


 とりあえず今の私からして、この作品に対する思いは『割と負担』かもしれない。


 というのも、小説執筆にもあり得ると以前にもグチったことがあるように、『精神的ハードル』が開始直後と比べて確実に引き上がったからだ。


 小説の場合だと『設定・人格に矛盾がないように・少しでもわかりやすく面白いと思ってもらえるように』などなど、我ながらすぐにどうにもならないことばかりを気にするようになってしまう。


 それと比べてこの作品では、『そこそこの文章量を確保できる話題でないと・人に見られてるんだから無様なものは載せたくない』などなど、徐々に思い始めるようになっていった。


 最初は『誰が読んでどう感じても知らんわ~い!』とか思っていたはずなのだが、いつの間にか自分で自分に暗示をかけてしまった状態に(おちい)っている。


 すでに、投稿当初にやっていたような『思いついた文章をただアウトプットするだけ』の怪文書を作ろうという気は毛頭ない。あれは読み返しても意味不明だし。


 そう考えると、『なろうテンプレ』作品のあらすじでよく見かける『好き勝手に・自由に生きる』みたいな言葉って、結構難しいのではないだろうか? と思ってしまう。


 少なくとも私は『好き勝手に・自由に生きる』=『欲望に忠実に生きる』ではないと思っている。生存競争を生き抜くために『知性』を獲得した人間にとって、社会性を保持するための『理性』は切っても切れない機能であるからだ。


『理性』は生育環境などにより『内的規則』――要するに『自分ルール』を無意識に()す。それがどんな性質のものであれ、『好き勝手に・自由に生きる』ことにもある程度の制約を与えるのは想像に(かた)くない。


 たとえば『女性を傷つけてはいけない』と両親に強く言い含められて育った男性だと、『女性を大切にしなければならない』か『女性を無碍(むげ)に扱ってもいい』かのどちらかに性格が分岐(ぶんき)すると考えている。


 前者の場合、両親からしつけとともに愛情をもって育てられた場合が多そうで、両親の教育を素直に受け止めて『女性を傷つけるのは悪いこと』と無意識に刻まれ、これに反すると強い罪悪感や嫌悪感を抱くようになりやすい。


 逆に後者の場合は、両親からの虐待などによって生育環境が悪辣(あくらつ)であった場合が多いだろう。すなわち、『親の言うことはデタラメだ』と無意識に思いこみ、両親の言葉に従うことにこそ嫌悪感を抱くようになりやすいのだ。


 まあ、私は教育の専門家でもないので断言はできないが、少なくともそういった傾向が性格に表れるのではないか? と思っている。


 で、『好き勝手に・自由に生きる』にも『理性』は働くはずなので、キャラクターの無意識に根付いている『こうしなければならない・こうしてはいけない』という意識はどこかに表れるはずだ。


 そうでなければ、『好き勝手に・自由に生きる』という宣言は文字通りの『野生に返る』宣言に等しい。生存欲求と快楽にだけ忠実な、まさしく(けだもの)()ちるだけだ。


 ただ、『なろうテンプレ』でよく見る主人公を思い返すと、やたら『性欲』には忠実なイメージが強いので、半分くらいは(けだもの)と称してもいいのではなかろうか? と思ってしまうが。


 ……ん? 気づけば創作についてのコメントになっている? 我ながら、書いているとすぐに話題が飛んで、主題を置き去りにしてしまう悪癖にため息が出そうだ。


 もしかしたら、こうした『思考が散らばりがち』な性質も、一つの作品に集中力が長続きしない要因の一つかもしれない。『飽きる』とはまた違う、『手を出しにくい』感覚はついて回るのがもどかしい。


 ……ともかく、これからもこの作品を雑記や日記代わりに書いていこうとは思っているが、いつまで続くかは私でもわからない。


『一年』という期間は私の中でもボーダーだと思う。これを乗り越え、エタらないかどうかで対処は変わりそうな気がする。


 一番怖いのは『一定の期間が経過したことでやりきった感を覚えてしまうこと』かもしれない。時間経過だけで満足してしまうと、作品が完結していないのに『終わった』気になってしまいそうだからだ。


 何というか、本当に私という人間は扱いにくいとつくづく思ってしまう……三十路近くになるまで気づかなかったのは悲しいが。


 本当、書いている最中に私の頭の中で興味が移ろっていくこの感覚、何とかならないでしょうかね? 話があっちゃこっちゃ飛んで仕方ないです。


 これを執筆中に何度も起こしてしまうから、筆が進まない大きな要因になっているのでしょうね。いやな気づきです。


 一時的にでもいいから、思考の飛び火を防げる方法があればいいんですけどね。考えに一貫性がないので、まとめるのが大変だったりしますから。


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