29回目 2019/4/13
キーボードに向かい合った瞬間、強い緊張感を覚えることが頻繁にあります。
書き始めが一番悩む。
それは小説を書いたことがある人ならば、ある程度共感してもらえるとは思う。
文章で人を楽しませる娯楽である小説において、一文字一小節のズレが没入感をそぐ要素になり得るからだ。
逆を言えば、一文字一小節で人の心をつかむこともできる。
インパクトが強く忘れられない台詞や言い回し、秀逸なレトリックなどがそういえるだろう。
文章の集合体であり連続体である小説は、それ全体で物語を構成する代物でありながら、部分的に取りあげれば作者の感性が光る表現で満ちている。
それが文学=芸術という認識につながるのだろう。
新しい絵の具の色を想像するように、日常の風景を抽象的でありながら的確に示し。
ここにしか使えない! と思わせるような難解なコードを曲に組み込むように、誰もが気持ちよく感じる表現を生み出す。
そう考えれば、手軽に始められる物書きがどこか高尚なものにも思えてくる。
いつしか私の意識にも少なからずそうした『芸術性』を小説に抱くようになり、だからこそ昔より無鉄砲に文章を書けなくなった。
元々、私には自分のハードルを無意味に上げ続ける悪癖がある。
必要最低限であるはずの及第点を、無意識にどんどん上げていくのだ。
最初は意識して足を上げるだけでよかった高さが、助走を必要にして跳び超えなければならなくなり、今では棒高跳びのようにして跳び超えるのが『最低限』になっている。
意識してそれなら調節できるかもしれないが、完全に無意識では基準を下げるのも難しい。
技術もろくにないのに、プライドは少なからずあるのもまたやっかいだ。
戦闘シーンで擬音を使ってもいいはずだ。なろうでもよく見かけるし、私が書いているのはラノベなので許容範囲の表現方法ではあるはずなのだ。
それが自分のくだらないこだわりで縛りにしてしまい、逆に表現の幅を狭めている。
どんどん窮屈な状態になっていき、書いても書いても消してしまうようになった。
積み重ならない物語に辟易し、疲労だけが蓄積される時間になってしまう。
ああ、執筆と推敲をほぼ同時に行ってしまう悪癖も、それに拍車をかけているだろう。
書いている途中でも表現のアラが気になると先に進めなくなる。
どちらかといえば新しく文章を進めるより、元ある文章をあーだこーだとこねくり回す方が楽しい気質なのだ。
執筆速度という点でデメリットでしかないこの性質を、どうにか改善したい……。
始めること、作ること、変えること。
私にとって、最初の一歩が常に清水の舞台と等しいのでしょう。




