272回目 2019/12/12
今回は完全に日記として、世の不条理を嘆いてみます。
実家に逃げ帰ってからそこそこの時間がたち、家事の一切を丸投げできる環境にありがたみを感じ続けている今日この頃。
昨夜の夕飯で、私は生まれて初めて『豆乳鍋』というものを食べた。
というのもきっかけは単純で、数日前(たしか日曜日)にテレビで鍋だし(ミツカン製)が紹介されていたのを見て、一度食べてみたいという話になっていたからだ。
今まで豆乳鍋に手を出さなかった理由として、『豆乳』を家に招き入れる文化がなかったのが大きい。料理でも飲み物でも、『豆乳』は我が家でぜんぜんなじみがない食材だったのだ。
だが、テレビで見たときに売り上げが一番みたいな紹介をされていれば、小さくない期待は抱くもの。
食べてみたい。どれだけおいしいのか、この舌で味わってみたい。そんな原始的な欲求に突き動かされ、豆乳鍋の出汁を購入して食べたのだ。
結論から言うと――非常に美味だった。
具材は白菜・にんじん・白ネギ・えのき・豆腐・平てん(関西の練り物)・鳥胸肉・豚肉(在庫処理もかねて古い食材を引っ張り出した結果の肉二種類)と、割とスタンダードな装いで煮込まれた。
食べる前は豆乳の臭いや癖のある風味を警戒していたが、実際に食してみると豆乳要素はほとんど気にならない。むしろコクやうまみの中へうまく潜り込み、敬遠されがちな部分を見事に隠していた。
さらに、特筆すべきは『野菜のおいしさ』だろう。特に白菜は出汁をよく吸い、スープに広がった具材の甘み・うまみを余さず受け止めていた。
口の中に入れた瞬間の衝撃は忘れられない。『ごま豆乳鍋(商品名)』の出汁や一部食材から染み出した塩味と、野菜や肉の脂が演出するほのかな甘みが、白菜をあっさりとしながらジューシーな味わいに変貌させていた。
基本の出汁がそこまで強い主張でないのも、食材本来の味を楽しめるような感覚に浸れてポイントが高い。『ああ、私は今、鍋を食べている』と当たり前のことにしみじみとしてしまったほどだ。
一つ具材を口に放り込んだら、あとはもう止まらない。濃い味も好きだが、どちらかというとさっぱり系の味が好みな私にとって、あまりにも心を揺さぶる味わいだったのだ。
感動した。先入観からの食わず嫌いを恥じた。『豆乳鍋』とは、いいものだ……。
いい意味で価値観を壊された私の思いとは裏腹に、周囲(身内)の目は冷ややかだった。
いわく『味が薄くて微妙』らしい。
一人だけならまだしも、私以外の全員が同じ意見らしいとわかったときの衝撃と言えばなかった。
めっちゃ味したじゃん! すっげぇうまかったじゃん! お前らの舌どうなってんだよ!?
……どれだけ、本音をたたきつけたかったことか。メンタルチキンな私は、さすがに面と向かって非難などできなかったが、正直なに食ったらそんな味覚になんだよ? と本気で思った。
あげく、『薄味が好きとか言う人は食通ぶりたいだけ』とかぬかしやがる。
おめぇらがバカ舌なだけだよ!! ……マジで叫びたかったが、身内が見ないであろうこの場に文句は捨てていく。
薄味でも楽しめるのは『味覚の許容範囲が広い』んであって、濃い味でしか満足できない味覚より得してるのは間違いない。
この出来事から、私は思い知ったのだ。
主義主張が多様に混在する人の世から、戦争を消すことはできないのだと……。
味薄いってなんだよ、しっかり出汁とかうまみとか白菜が吸ってんじゃねぇか! と心に秘めつつやんわり口にも出したのに、結局理解してもらえませんでした。
もしかして、私の身内は濃い調味料に味蕾をやられたバカ舌かもしれません……なっんでわかんないかなぁ~?(まだ言ってる)




