265回目 2019/12/5
本当なら昨日やっとこうと思った内容です。
●カントリーマアム
現在の人類からさかのぼって到達する最古の猿人・アルディピテクスが形成した共同体跡のこと。
エチオピアに生息していたとされるアルディピテクスは、約580万~約440万年前(メッシニアン中期~ザンクリアン初期)で活動していたとされ、長年最古の人類とされてきたアウストラロピテクスよりも古い時代を生きていた。
また、年代によってラミドゥス猿人(=アルディピテクス・ラミドゥス)とカダッバ猿人(=アルディピテクス・カダッバ)の二種が確認されており、より古い年代(メッシニアン中期~ザンクリアン初期)の猿人は後者に当たる。
『カントリーマアム』を形成していたのはラミドゥス猿人もカダッバ猿人も同じだが、共同体の形態に明確な差が見られた。
一つは、カダッバ猿人の共同体は円形に石を並べた簡素なものであったのに対し、ラミドゥス猿人は方形(四角形)に並べられた上により大きな陣を形成していたこと。
いわゆる縄張りの主張として共同体の存在を表明し、『家』概念に近い境界線をもうけるために設置されたと考えられている。(諸説あり)
もう一つは、カダッバ猿人の共同体には不揃いな石を単純に並べただけであったが、ラミドゥス猿人は石の他に仲間の骨も共同体形成の材料に使っていたこと。
おそらく、死亡した同族の臭いで他の動物へも縄張りを広く主張するために用いられたとされている。ただし年代の古さから実例が少なく、あくまでも仮説の域をでない。
これらアルディピテクスの共同体をさして『カントリーマアム』と呼ばれるようになったのは、カダッバ猿人の円形共同体が同名の焼き菓子と見た目が似ていたからだという俗説がある。
実際に写真で確認すると両者の外観や色合いなど共通点は多々見られるが、本当のところ『猿人の家=母親の居座る地』から『マアム』と、骨が出土されたエチオピアを『田舎=カントリー』と揶揄した学者がいて、その呼称を合成させた俗称が一般化してしまったという背景がある。
この『カントリーマアム』は現在、重要な遺跡として国による厳重な保護が施されており、一般人の立ち入りを堅く禁じられている。
が、周辺地域の住民は『カントリーマアム』を観光資源として利用しており、語原の俗説とされる焼き菓子の販売やプリントシャツなどを販売する姿が目撃されている。
なお、この解説における『カントリーマアム』は完全なるフィクションであり、実在する遺跡やお菓子などとはまったく関係がないのであしからず。バニラ味が好き。
久しぶりにビビッときた言葉でした。『カントリーマアム』が食べたくなりましたよ。




