254回目 2019/11/24
久々に泣いた話をば。
この日、明け方あたりから少しの時間、急に襲われた感動? によって涙を流していた。結構ガチ気味だった。
何か悲しいことがあったわけではない。特別つらいことがあったわけでもない。ただ、心がふるえて感極まってしまっただけだ。
前日に読んだ『なろう』内の小説によって、下準備ができていた状態なのが大きかったのかもしれない。
私は書いたことがないが、『君膵(だっけ?)』と同じ余命が決まってる系の物語だ。ちなみに、日刊ランキングから見つけたものである。
作者の考えとしては、何故か『死』を安易な感動の舞台装置にするのはどうなんだ? なんて考える玄人ぶった人間だったが、実際に読んでみると自分でも書きたくなってくるものだ。
他の方はどう感じるかわからないが、これと同じ系統の物語で心にくるのが『余命が決まったキャラの過ごし方』よりも、『実際に死亡した後に残されたキャラの変化』の方が私のツボになる。
その作品を読んだときも、『(ローファンタジー的な要素で)余命を悟っている主人公』が過ごしてきた行動や態度などよりも、『主人公によって変われたキャラ』に感情移入を多くしていたように思う。
そりゃあ、『主人公』がそのキャラに変化を促すような言動をしてきたからこそ、『それまでの自分』とは違う心構えをキャラが抱けたのはわかってる。
ただ、この場合の『主人公』は達観というか諦観というか、精神的な不安定さを抜きにしてもどこか『完成される間近な存在』に思えたのかもしれない。人間的にではなく、物語の配役的に? ちょっと言葉にしづらい感覚だが。
ともかく、そうした小説を読んだことで少し『涙スイッチ』が押されていた状態にあった。その上で、また別の要因で『スイッチ』を押されてしまったため、限界を迎えた。
気まぐれで新しい音楽をユーチューブで探していた時、BUMP OF CHICKENの『GO』という曲のMV? を見つけた。ソシャゲで有名なグラブルのアニメ一期のOP曲である。
改めてフルで聞いたのは初めてだったのだが、一回じっくり聞いたら簡単に決壊してしまった。相性がよかったのか悪かったのか……。
ここからは少し、『GO』を聞いた私の所感を備忘録代わりに残していこうと思う。
まず、この曲は曲調と歌詞のギャップがすごい。
曲のイメージは、全体的にさわやかだ。たとえるなら、初夏の夜明け前から一日が始まろうとする七~八時くらいの朝。昨夜に降った雨の影響で草花の葉っぱに水滴がいくつも付着し、風に揺られてポツポツと落ちる情景が思い浮かぶ。そして、空を見れば分厚い雲の隙間から太陽の光と蒼天が顔をのぞかせるのだ。
一方、歌詞は『GO』というタイトルから見ると、ちょっとスタートがネガティブな印象を受ける。自分の弱さやダメさを自覚し、ボロボロな状態にありながら行動を手をこまねいている様子が、等身大の若さを感じさせた。
そんな一番の歌詞から二番に移ると、アニメOP部分で聞いたことがある部分になるため聞きなじみがあった。が、一番の前振りがあるのとないのとでは、印象が大きく違った。
ただ前向きに、ある種の期待を進む先に見いだしながら走り抜けるシーンが思い描くのだが、一番で示された『動けなくて固まってしまった』状態とのギャップが、えもいわれぬ感動を私に芽生えさせた。
曲の歌詞全体を見ると、『殻を破る成長の兆し』みたいなストーリーがうかがえる。もしかしたらそれが、先に読んでいた小説から得た感動とリンクしたのかもしれない。
おそらく相乗効果があった結果、私の涙腺は決壊したわけだ。今でもまだ、少しだけ涙の気配は残っているので発作的に泣かないか心配ではある。
年齢を考えると少し恥ずかしい気持ちもありつつ、状況を考えるとかなり突発的に感情があふれたので自分の精神状態に少し心配も抱いている。
別に泣くことが悪いこととは思わないが、無自覚なストレスでもあったのかと不安が……。
ひとまず、自分の感じた物をある程度文章化して少しでも落ち着けようと思った。今回の内容は、そんな感じで進めていった次第だ。
何かこう、私の場合こういう波が不意打ち気味にやってくるので、ひとしきり泣いた後は『なんでやねん』と困惑することも多いです。
精神的な状況として下地ができていれば、割と一押しすればどっとあふれますね。自分でもわからないまま泣いてることも多いですし――情緒不安定かも?




