25回目 2019/4/9
気づけばどんどん暴露っぽい内容になっている不思議。
言い訳をかねた自慢をしよう。
小説のアイディアを練って書き進める作者の特権の一つとして、『先の展開がわかる』ことが挙げられる。
これは正直、自分自身が自分の作品のファンであった場合のメリットだが、これが意外と面白いのだ。
私はキャラクターにあからさまな自己投影をしないタイプだ。
キャラは作者と似た部分はあれ、根本的には別人――そう認識して、作品づくりをしている。
だから、自分が文章に起こし、物語として明文化するまでは私も純粋な『読者』の気分を味わえる。
とはいえ、実際に書いている時間とは異なるので本編が進んでいるわけではないのだが、この時間も案外バカに出来たものではない。
何せこの『ネタを練る時間』で、キャラクターの深堀りが自然と出来ているからだ。
私の場合、先に予定している展開を想定しながら、登場キャラ同士でやりとりする妄想を何度もする。
そうする内に、『コイツならこう言われたらこう返す』とか、『この子ならこう言われたらこうやり返す』みたいな、性格がどんどん人間らしくなる気がするのだ。
しかも私は頭の中で転がす時間が長いから、未出・既出問わずキャラクターがどんどん個性的になる。
ただし、このやり方には『好きなキャラ=主要キャラ』を好んで動かすから、『敵キャラや好きになれないキャラ』は放置しがちという欠点もある。
実際、これで決まっていくのは『ヒロイン像』だけな気がしてならない。かなり大目に見ても、ヒロインの交友キャラまでしか広がらない手法だ。
何せ、敵のトレースはあんまり楽しくない。
私は心がすさみ気味なだけで、心のあり方は善良だと自負している。
一方、私が出す敵キャラは割と清々しいほどのクズが多い。悪役キャラとして立たせるためもあるが、今連載している小説は『そういう都合』もあって、特に悪役を意識して強調しているからだ。
そういう『必要だけど嫌いなキャラ』は、あんまり動かしたくなくなるというか、何というか。
正直に言うと、気が合わない上司を避けるような感覚で、こちらが歩み寄ろうとしないのだ。
ほぼ百パーセントの確率で、こっちが嫌な思いをするようなことしか言わないキャラだと、私が確信しているからこそ避ける意味合いもある。
ちなみに、私のこの作業で『設定の変更』はしない。
『既存の設定を先鋭化』するだけで、完全に『個性付け』の意味合いでしかない。
同じ様な言葉遣いでも、心のあり方が違えば言葉の使い方に違いが出てくるものだ。
荒っぽい言葉を使うキャラでも、相手に対し好意的か、無関心か、敵対的かで言い回しは微妙に異なるし、受ける印象は異なってくる。
こういうものが自然と出てくるように、私は今日も妄想を繰り返している節がある。
とまあ、偉そうに言ってみたものの、形をなしていなかったらどんなご高説もただの『絵に描いた餅』なわけで。
さすがに『未完の大作(笑)』にはしたくないので完結は目指すが、この部分的に煮詰まったシチュー的作品がきちんとした小説として日の目を見るまで、まだまだかかりそうである。
この場も借りて謝っておく。申し訳ない。
しかもほとんどが愚痴で、さすがに恥ずかしい。




