248回目 2019/11/18
ちょっと刺さった記事を発見したので、それに関して思いと考えを書いていきます。
まとめサイトの『読み速』さんで読んだ記事で、少し長編の書き方について考えをまとめようかと思った内容がある。
タイトルとしては『長編小説が書けなくなったときに思い出してほしいこと』であり、【普通】の続きがなかなか進まない私にとっても他人事ではない言葉だった。
中身はツイッターのやりとりをまとめたもので、まず初めに示されたのは『書きたいシーンと書きたいシーンの間にどんなシーンを書くかを、あらかじめ決めていたか?』という指摘だ。
この言葉に正直、ドキリとしたものを感じた。というのも、今【普通】で書いている創作童話シーンなど、まさに『書きたいシーンの間』に挟まれたものだからだ。
一応、いいわけをするなら創作童話は『不必要なシーンではない』。
ただし、それは作者側である『私の目線から見れば』であって、最終的に獣人のストーリーを読んでくださった読者様がどう感じるかは別である。それはわかっている。
とはいえ、最初に組み上げたプロット段階では『つなぎ』であるシーンでつまづいていることは事実であり、自分の物語の進め方に不備がないか? と思ってしまう。
まあ、この言葉を書いていた人が言うには『途中で書けなくなる・スカスカになったと感じたときは、ここが決まっていないだけでは?』というニュアンスなので、私の悩みどころとは軸が少しズレているのだけれど。(勝手に悩みが脱線しただけ、とも言う)
そこからは別の方との掛け合いが載せられていた。
たとえば、『書きたいシーン以外の部分は『書きたいシーンを盛り上げるため』にあるから、『どんなシーンとエピソードが必要か』を考えれば書き続けられる』という意見があった。
私の中では、まさに『創作童話』がそれに当たる(と思っている)ので、この意見については同意できた。ただ、次の返答の中で、少し気になる部分も見つけた。
『その際、設定や説明を『シーンやエピソード』に変換して見せるのが大切』というところだ。
要するに『自然な感じで設定を説明する』ということになる。言葉にすれば簡単だが、意識してやろうと思えるまでに気づくのが遅れる配慮のため、意外にできているかどうかは難しい部分だ。
たとえば、初心者でやりがちな書き方として『最初から小説の歴史語り』に代表される『設定集化』がある。これは上記した『自然な感じでの説明』が作者にできていないため起きている例であろう。
私も覚えがあるが、とにかく初心者の場合は『書かないことが不安』になりがちだ。説明不足で不興を買ったりしないか、わかりやすいように最初から説明しないと、などと焦ってしまう傾向がある。
しかし、そうした作者の心配からくる配慮は、だいたいの場合『最初から説明ばかりで面白くない・読む気になれない』という結果に終わる。
誰だって、(『なろう』ではテンプレがあるとはいえ)未知の情報を一気に説明されても、理解が及ばないのは当たり前だ。情報は必要なときに、効果的なタイミングで挿入しないと、読者側に覚えてもらえない。
物語の中で戦争の歴史があるなら、それを出すタイミングは『戦争の当事国』に主人公が関わったときで十分だ。
加えて、『主人公が加勢すると決めた国が同じ相手と戦争をする直前』に、『軍の会議などで経緯を説明するため』だとなお、自然に『設定を話せる空気』になるだろう。
小説は教科書ではないのだから、必要な情報でも一気に出さず、小出しで理解を促すように書くことが『作者に必要な配慮』になってくる。
だからこそ、『読みやすい小説』において重要なのが『読者に知らせる情報の順番と取捨選択』になる、と私は考えている。これができていれば、極論として『面白くない小説』でも『読める小説』にはなるはずなのだ。
作者にとって、がんばって書いた小説が『読まれないこと』が一番のダメージになると思う。
『面白くない』とダメ出しされるのは『伸び代がある』と変換できるが、『読む気になれない』と言われてしまえば『読まれない原因』の発見まで時間がかかる。『どこをどう直せばいいのか、具体的なことが何もわからない』となってしまうからだ。
自分では『今できる最高傑作』を書いたつもりでも、他人からしたら『読む価値のない文章の羅列』にしかなっていない、と気づいてしまえば最悪立ち直れないダメージになるかもしれない。
なので、『読む気になれない』よりは『面白くない』の方が建て直しがしやすいため、『情報を出す順番と取捨選択』を先に身につけた方が楽なのだ(と、私は思っている)。
あとは、『書けなくなる人は『始まりだけを考えて書く』か『始まりと終わりだけを考えて書く』パターンが多い』という意見にも心当たりがあった。
私のパターンは後者で、【普通】もそのやり方で作り出した口である。まあ、ぽっかり空いていた中のシーンは後でプロットを組んだので、当初よりはマシな執筆計画になっているとは思うが。
しかし、それでも書くのが遅いのと、書き始めるまで気が重いのが払拭されることはない。どうしても『いい物を書きたい!』という欲求が自分のハードルとなって、始めることを邪魔している気がしてならない。
特に、百万文字を越えたあたりからは正直『後には引けない感』をひしひしと感じている。私の書いた小説の中で2000人を越えるブクマがあるのも、『下手な物は書けない』というプレッシャーになってしまっている。
あと、関係ないがこの前やった性格診断で『ヤンデレタイプ』と出てしまって地味にへこんでいる。確かにちょいちょい『病んでる』けど……『ヤンデレ』? え、マジで?
ともかく、私の小説の書き方にも問題があるのかもしれない、と考えるのだ。軌道修正が強引なのは目をつむってほしい。自分でも気づいているので。
そこでまず、自分の現在を考えてみると、どうも私は『思い描くシーンをつぶさに観察して、『書きたい情報』を探し、『書き残した情報』がないかを確認しながら書いている』節がある。
簡単に言えば、『下書きでぶっつけ清書』を常にやっている状態なのだ。そりゃ時間もかかるし、変に気負ってしまうのも仕方がない……のだろう、うん。(現実を受け止め中)
なので、改善案としては『ちゃんと下書き(=シーンごとの細かいプロット)を書く』、が正解なのだろう。が、前に試したのだが長続きしなかったという前科がある。
どうも面倒くさがりな面が出てしまうのか、『頭の中にある設定やシーンをいちいち書くのダルい』と思ってしまうのだ。下書きの重要性はわかっているが、手間をかける一行程を横着してしまう。
だが泣き言ばかりも言っていられない。今後、精神的ハードルを下げるためにも下書きを意識した書き方をしようと思っている。
その中で、今回の記事の中に一つアドバイス的な物があった。
いわく『本編を書く前にシナリオ形式で物語を書いておくと、問題点のあぶり出しが早く済んで楽』、という意見があった。
その人によれば、『シナリオは台詞と最低限の状況描写のみで済むので、慣れるとすごく早く書ける』らしい。
私なりの解釈としては、脚本みたいにまず話を進めて、後から情報を足して完成させる方式、ということになるか。
前に挫折したやり方だと『誰が何をしたか?』だけを書いていた気がするので、脚本形式でやるというのは一度試してみたいと思った。
ちょうど、気晴らしのつもりで新しい短編をいじっていたりする。そこで、シーン全体をシナリオにして下書きをするよう、意識してみるとしよう。
気づけば長々と書いていたが、私も一定水準以上の物語を速筆で書けるようになりたい――というのが、全体を通して言いたいことになるのだろう。
無理をしない程度にがんばろうと思う。
時々あるんですよね、自分が書いた小説の文字数に圧倒されること。
推敲の時とか、最近よく絶望感を味わってますよ。『あっ、途方もねぇ……』って。これ、前も書きましたかね?
まあ、体調とも相談しながらボチボチやっていきますよ。『書くのを止める』って選択肢が私の中に最初からないのが、ちょっと笑えてきますけど。




