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244回目 2019/11/14

 さて、今回もねつ造創作をしていきましょうか。


●お茶請け

 現在はお茶のお供として用意されるお菓子などを指すが、元は一時期にのみ登場した特殊な盾が語源。


 茶の歴史は中国が発祥であり、一説によると紀元前2700年頃から食されていたという話もある。当時は野草の一種として、食べ物のように扱われていたそうだ。


 時は過ぎて宋の時代(960~1279年)、()れ方は現在と異なるもののお茶を飲む文化が広く伝わっており、茶葉の生産は中国内で広く行われるようになっていた。


 主な消費層は貴族はもちろんのこと、役人や文人などの富裕な市民層にも普及され、嗜好品としての地位を確立していた。


 しかし、一部の市民が茶の席で口論となり、高温に熱したお茶を互いにかけあった暴力事件にまで発展したことがあった。それをきっかけにして、『闘茶』という概念が生まれたとされている。


『闘茶』は文字通り『お茶で戦う決闘方法』であり、原則一対一で行われる競技である。


 ルールは手番(ターン)交代制で、さいころの出目から先攻後攻を決めて行われる。競技者(プレイヤー)は互いに茶葉の種類や温度、蒸らし時間に茶葉の量などを事細かく茶師(お茶を()てるためだけの専門職)に指定したお茶を用意する。


 そして、三尺(およそ一メートル)の距離をとって見つめ合う形で座り込み、傍らに置かれた茶器に入ったお茶をひたすらかけ合う、というのが基本的な進行になる。


 勝敗は『お茶を浴びて悲鳴を上げた方が負け』となり、敗者は己の主張が間違いであったことを認めた上で、『闘茶』によって消費した茶葉の代金を勝者の分も支払わなければならない。


 ただし、お茶以外の物の接触で上げた声は無効となる。茶器そのものを投げつけて声を上げさせる行為は最大のマナー違反であると同時に反則行為にあたり、もっとも重い刑罰として舌を切り取られた者もいたそうだ。


 この『闘茶』は互いの主張が平行線をたどり、冷静な議論が不可能と判断されたときの解決法として積極的に用いられ、富裕層の市民から徐々に『闘茶』が認知されていくことになる。


 ただ、伝聞によってルールが正しく伝わらないまま広まってしまい、都市部を離れるほど『闘茶』は『決闘方式』としてよりも『敵対者の撃退法』として知られるようになってしまった。


 当時の農村部では『闘茶』は気軽かつ過激に行われており、禁止事項や反則などもいっさい設けられずにお茶をかけあい(ののし)りあったといわれている。


 そんな間違った『闘茶』によって引き起こされた、最大の事件があった。


 茶葉を生産する農家にも『闘茶』の文化が広められてしばらくしたとき、茶葉の売り上げによって農家の間に経済的格差が大きくなっており、社会問題となっていた。


 お茶は発酵茶、不発酵茶、半発酵茶、後発酵茶の主に四種類に分類でき、発酵や乾燥などの処理で味や風味が大きく異なるため、生産者の腕によって売値にかなりの変動があったらしい。


 ブランド銘柄として知られれば少量で大金が動き、逆に粗悪品と判断されれば捨て値同然で売られてしまう。


 現在の日本では当たり前の資本主義に当てはめればおかしな話ではないが、当時の零細農家は『同じ茶葉から作っている商品に、なぜこれほど売値に差が出るのか!』と激怒した。


『闘茶』の広がりや市場拡大に伴い、一部の経済的に潤っている茶葉農家以外の無名茶葉農家たちもその格差を知ることとなり、不満と憤りが蓄積されていく。


 そして1108年に不満をため込んだ茶葉農家たちが一斉蜂起(ほうき)し、ブランド茶葉を排出する農家を『闘茶』で襲撃するようになった。


『闘茶抗議』は瞬く間に中国全土に広まり、やがて標的は『高級茶葉農家』の枠を越え『茶葉加工業者』へと矛先を変えていく。


 そうして緑茶・ウーロン茶・緑茶それぞれの生産者が、互いに生産シェアを争って引き起こされた集団闘茶事件、『三巴茶潰(みつどもえちゃかい)』が勃発(ぼっぱつ)。茶で茶を洗う泥沼の争いに発展した。


 味も風味も関係なく、ただただ沸騰したお茶を掛け合う様はまさに地獄の様相であり、農家とは関係ない市民までもが重度の火傷(やけど)を負うような事例も多発した。


 もはや暴徒と化した零細茶葉農家から身を守るため、考案された防具こそが『茶受チャ・ショウ』であった。


 見た目は身の丈をすっぽり覆えるほど大型の円盾(ラウンドシールド)で、特徴的なのが盾の(へり)が外側へ巻き込むような形を取っており、(みぞ)のような空間を形成している点だ。


 この構造のおかげで、飛び散ったお茶を(みぞ)部分で受け止めることができるだけでなく周囲への飛散を防ぐ上に、その大きさから複数の人をお茶の襲撃から守ることも可能で、かつ(みぞ)にたまり適温に冷めたお茶を飲んで水分補給もできるという、一石四鳥の構造をしている。


『茶受』の登場によって被害がみるみる縮小し、ほどなく正規軍の出動もあって暴徒たちは鎮圧された。ただ、『闘茶』の被害から身を守る専守防衛の観点で作られたため、『茶受』が歴史の表舞台に立った期間は著しく短い。


 しかし後年、日本にも『闘茶』の文化が流入した際に『三巴茶潰(みつどもえちゃかい)』による一連の騒動も知られるようになり、一部の木工職人が『茶受』の構造に興味を引かれる。


 改良を施された『茶受』は本来の目的とは異なり、コンパクトで持ちやすい形に変化する。そして、茶器やすでに()れたお茶を運ぶためのお(ぜん)として使われるようになった。


 その当時に名付けられたのが『茶受け』であり、茶器と同じ分類で必需品とされるようになった。道具としての使いやすさから、次第に日用品の一種として親しまれるようになる。


 いつしか時代を()る内に、『茶受け』という言葉の意味が『熱いお茶を受け止める』という認識から、『口の中に生じるお茶の苦みや渋みを受け止める甘いもの』と認識が変わり、現在の『お茶請け』という言葉につながったとされている。


 ただし、『甘いもの』と限定されているように、日本で砂糖や甘味の強い食材を用いた菓子が発展しなければ、『お茶請け』は今でもただのお(ぜん)として扱われていた可能性も否定できない。


 文化の発展と道具や言葉の関係性に生じる変化は不可分なのだと、『お茶請け』の変遷をたどるだけで見受けられるだろう。


 なお、この解説はほとんどがフィクションであり、登場する文化・事件・道具・年代などは実在するものとはまったく関係がないのであしからず。


 ふと、これってプロットや設定を作る練習になるのでは? とか思ったり思わなかったりしました。


 おそらく何もしないでいるよりはマシでしょうから、練習がてら続けられたらしばらく続けたいですね。


 ちなみに、『闘茶』というのは(私の認識だと)単純にお茶を()れ合って味や風味などの良さを競う文化的な競争です。


 決してトマト祭りみたいに茶器をぶつけ鮮血を散らすような野蛮な文化ではありません。


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