241回目 2019/11/11
愚痴というか、弱音を少し。
拙作長編である【普通】の推敲をするようになって、そろそろ二週間が経つ。経った? まあどちらでもいい。
作業は最近急に冷え込むようになった深夜に行っているが、気温はともかく静かな環境はやはり集中できる。リビングよりも図書館の方が勉強できるタイプだったのか。
今さらながらに自分の勉強スタイルについて一行の余地が出てきたのはさておき、昨日の作業を終えて投稿した後のことだ。
ふと、今まで投稿してきたタイトルをざーっと見てしまって、気づいたことがある。
あ……そういえば百話超えてんじゃん、と。
次いで思うことは、『推敲作業、果てしなくない?』だった。
そう、ちょっと心が折れかけたのだ。自分が書いてきた軌跡を手直しするだけなのに。
最新話をひたすら書いていた頃は気づかなったが、一話一話の修正ってかなり大変で、キーボードに向かうエネルギー的にも重いのだ。
レバーに、レバーにくる……。終わった後は目と肩と腰にくる……。
これが、恋? ……間違えた、老い?
増えていくのは年齢と体重だけ、減っていくのは預金と身長……ははっ、笑えないくらい笑えるね。
などとブラックジョークをかますくらいには余裕があるのかないのか。ひとまず、私はまだ生きている。
我思う、故に我あり。考える自我があるから、私はまだ死んでいない。
人間は考える運転手である。ならば、外食用財布や乗り物竜や滝沢秀明や油性ペンは人間ではない……?
人間は重油の刑に処された。……釜茹での刑だろうか? たしか、義賊として知られる石川五右衛門が、自分の息子を踏み台にして助かろうとした様子が瓦版? か何かに残っていたと聞いたことがある。
どれも私がぱっと思いついた哲学者の名言である。多少、記憶違いがあるかもしれないが、細かいことは気にしてはいけない。
要するに、推敲ってしんどい作業だったんだな、とこの期に及んで気づいたわけだ。
まあ、自分から始めたことだから仕方がない。せめて、自分で『やる』と決めたことくらいは最後まで通さなければ、それこそ重油の刑に処される。
そういえば、歴史を調べる時に思ったのだが、どうして『死刑』のレパートリーってあんなに多いんだろう? 人種が違う、ってだけで同類生物を惨たらしく殺せるなんて、人間って怖いよね。
考えが基本的にまとまっていないのもかまわず、今回はこの辺で失礼しよう。
風邪やインフルエンザが怖い時期なので、お互い注意しよう!
そんな私が最近飲んでいる素敵ドリンクがあります。
ずばり、『白湯と水道水のカクテル~雪解けの気配を運んで~』です。気取らず言えば、適温の白湯ですね。
現代人にとっては味が物足りないかもしれませんが、慣れたらローコストで温まっていいですよ。腸が活性化されるからか、めっちゃおならがでてきますけど。




