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236回目 2019/11/6

『表現者はツイッターをするな』という格言? があるそうですね。


 ネットサーフィンをしているときに見た話題で、あの『環境型セクハラ』でおなじみ日本赤十字の献血ポスター問題で、とある漫画家がツイッターで意見を残していて注目されていた。


 それがいい意味での提言だったら良かったのだが、残念ながら悪目立ちしてしまっただけらしい。私はツイッターをしておらず、頭もさほど良くないので、何が問題なのかわからないまま『へー』と読んでいた。


 何でも、噛みつき方が良くなかったらしい。『自分の意見を述べるだけで、平行線の話題にあえて首を突っ込んでいっただけ』、みたいなコメントもあったような?


 とにかく、ツイッターの発言は不特定多数に提示されるものであるから、フェミニズムとか政治とかのややこしくてセンシティブな話題へ気軽に参入するのはやめた方が良さそうだ。


 しかし、いくら匿名(とくめい)とは言え一部のネット利用者はどうして過剰なまでに攻撃的になれるのだろうか? 私には本当に不思議でならない。


 勝手に名付けるならば、『内弁慶』ならぬ『ウェブ弁慶』だろうか? パソコンやスマホの画面越しでなら、たとえ相手がヤクザであっても喧嘩を売れるだろうその精神力……私も少しだけ見習いたいものだ。


 確か、前にテレビで『車の中の閉鎖空間と、ウェブによる匿名(とくめい)書き込みの環境には類似点がある』、みたいな話を聞いたことがある。あおり運転の特集だったか。


 まず何度も言及した『匿名(とくめい)性』が個人の特定を防ぎ、安全な場所から一方的に攻撃できる安心感のようなものを覚えるらしい。崖の上から登山者に石を投げるようなものか?


 次に、『逃げやすい』ことも攻撃へ至るストッパーが外れやすい要因だとのこと。車の場合はアクセルを踏めば、ネットの場合はコメントの場から退出すれば、『その場における自分へのダメージ』は回避できる。


 あとは車内だと『閉鎖空間のためストレスが攻撃性を高める』とか言われており、ネットも『ネカフェ』とか『タクシー内』とか似たような環境で利用していれば、同じような効果はあるだろう。


 こうした複合的な理由が集まれば、人は簡単に他人を攻撃できる単純な生き物である。


 攻撃する人の気持ちがわからない、と前述した私とて清廉潔白な聖人ではない。機嫌が悪かったり強い義憤に駆られたりすれば、他人の悪口を言うこともあるだろう。ここでも似たような状態になった覚えはある。


 ただ、意識して攻撃的にならないようにはしたい、と常日頃から思っているし心がけているつもりだ。他人と争ったところで、怒るだけのエネルギーがもったいないし、怒ったらその後すごい疲れるし。


 そもそも、私は『人見知り』ならぬ『ウェブ見知り』だ。『なろう』でもペンネームを用いて活動しているが、自ら積極的に他のユーザー様と絡もうとしたことは『ほとんど』ない。感想など、片手で数えられるほどしかこちらから送ったこともないし。


 他の方と交流するとき私は完全に受け身で、活発な方のメッセージを受けて初めてお返事できる。


 顔も知らないしディスプレイの向こうにいるとはいえ、相手をしているのは人だ。普通に『人見知り』でもある私にとって、交流の前にそびえるハードルを越えるのはなかなか一苦労なのだ。


 そのため、『相互クラスタ』とかいう言葉も、私の中では都市伝説に近い。みなさん、そんなに交流が活発なんだろうか? 読者様以外とは会話もしないぼっちユーザーの私には信じられない。


 別に『相互クラスタ』がうらやましいと思っているわけではない。人が多ければ、それだけ面倒なしがらみも増える。どちらかといえば何事も一人で好き勝手やりたい方で、みんなとワイワイはかなり苦手だ。


 単純に疑問なのだ。『クラスタ』ってどう作るのか? と。誰かが号令をかけて、そこに集まっていく感じだろうか? 角砂糖に集まる働き蟻とか、()をぶち込まれた養鰻(ようまん)池とかみたいに。


 人は群れる生き物だ。事実、民族を定め、国家を形成し、経済を発展させて、文明を構築して歴史を(つむ)いできた。その習性はわからなくもない。


 だが、私のように協調性をゴリゴリ削って年齢だけ重ねたダメ人間には、どうも集団の熱気と窮屈さについていけなくなってしまう。


『人見知り』であり『ウェブ見知り』でもある私にとって、今の世の中は『世界が開けすぎている』。平原のただ中に身一つで放り出されたところで、感じるのは開放感ではなく孤独による心細さしかない。


 しかも、歩き方を間違えれば自分とは異なる思想を持つ者同士が徒党を組んでおり、数の暴力で危害を加えられるかもしれないのだ。


 ネットはもはや『異世界』で、私はチートもなければ冒険者でもない単なる『モブ』。自分が生きてきた故郷や家に引きこもって何が悪い?


 こんな考え方をしている人は他にいるだろうか?


 利用すると確かに便利なネットは、しかし漠然とした不安がいつもつきまとう『異世界』だ。『冒険者』になれない私には、いつまで経っても『未開の地』。たまに見つかる利益のおこぼれをもらうくらいがちょうどいい。


 表現者本人が有名になればなるほど影響力も上がりますから、間違ったメッセージを広める危険性も上がるようですね。


 しかも、作者と作品を分けて考える人も一定の割合で存在するため、下手な発言をしてしまえばファンを減らすことにもなりかねないらしく、広報のメリットと同じくらいリスクも大きいようです。


 私個人が持つ影響力など皆無に等しいですが、こうした話題を見るとやはりツイッターなどのSNSって怖ぇな、と思いますね。


 SNSは『なろう』だけでも十分楽しいですから、自分の手に負える範囲で楽しんでおきます。『ウェブ見知り』なので、『ウェブ弁慶』の人と関わりたくないですし。


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