235回目 2019/11/5
このごろ、ふと我に返るときがあります。
最後に心から楽しいとか面白いとか思えたのはいつだっただろうか? と。
昔を思い返せば、創作をしているときは基本的に楽しかった。読者様からすれば些細なシーンでも、執筆中だと次の仕掛けの考えながら書いているため、ほぼニヨニヨしながら文字を打っていたと思う。
しかし、このごろはそんなドキドキワクワクを忘れ、淡々と文章を続けているような感覚に陥っていたのでは? と自覚するようになった。
今ではめっきり減ったが、それでもたまにのぞくエッセイランキングで目に付いたタイトルをポチり、短めの内容を目で追っている時に目撃したのだ。
『創作は楽しむもの』――みたいな記述を。エッセイタイトルは残念ながら忘れた。それくらいぼーっとして読んでいたので、仕方がない。
たしか、作品をランキングに載せるには、的な内容だっただろうか? 私はお世辞にも人気作家などとは言えない位置にいるため、その気はなくとも少しは興味が抱いてしまうタイトルだった。
それはさておき、そこで今までさんざん目にしてきたはずの『創作は楽しむもの』という言葉に、私は『あ゛~』と天を仰ぎたくなる気分になった。
別に創作活動が嫌になったわけでも、つまらなくなったわけでもない。
ただ、若い頃と比べれば『楽しい・面白い』の強さが減ってきたのは事実だ。
私にとっての創作活動は、まず第一に『私の主張・思想を遠慮なくぶちまけるためのツール』である。直接言えば角が立つようなことも、物語調のオブラートに包めば攻撃性が低くなるし、主張する側も恥ずかしくない。
その次に一種の『サプライズ的快感』を味わうためだ。『作劇派』の特徴かも知れないが、置き逃げした伏線が回収されたときや、意図して作った山場が盛り上がったときなどはすごく嬉しくなる。前述通り、『ドッキリ大成功!』なノリで『してやったり』を勝手に味わえて、一人で興奮できたりする。
まあ、その次くらいに『読まなきゃ/書かなきゃやってられない』という気持ちもある。文字を追う衝動は軽く中毒状態と言ってもよさそうなくらいだ。気づいたら文字を探してネットを開いている、まであるかもしれない。
他にも細かい理由を探せばあるだろうが、その創作意欲に関わる部分が三番手だった『義務感・衝動』だけでやっているかもしれない、と気づいて自省の念に駆られた。
そもそも、『創作が楽しい』から小説を書いていたはずだ。その初心を忘れないように、と願いを込めてペンネームも『一 一 』などとつけたはずなのだ。
なのに、気づけば自分のプロットに感情が動きにくくなり、事務作業のようにポメラを開いて小説用ファイルを開く日々を送っている……ダメダメではないか。
これ以外の趣味とかもうしんどいし増やしたくない――なんて思いも確かにあるとはいえ、唯一の趣味と言えるかもしれない『創作』が苦痛の一歩手前まできているのは非常によろしくない。
ここらで気持ちの方向転換を図るべきだろう。幸い、まだ自分の作品に飽きてはいないので、『書くこと』に飽きないようテンションを作っていかなければ。
かの有名人も言っていたように、『他人が自分のご機嫌取りなんてしてくれないんだから、自分で自分の機嫌をとるしかない』のだ。(たしかソースは『みやぞん』さんだったかな?)
せめて『創作』に触れるときくらいは、普段のネガティブをポジティブな思考へ変えられるよう意識してがんばろう。
なんかこう、設定固めのしんどさとか資料集めの面倒くささとか文章選びの煩雑さとか、デメリットしか見えていない状態だったような気がします。
これからはより意識して、『創作は楽しいもの』と自分に言い聞かせながら取り組みたいと思います。
『執筆』は『遊び』だ! ヤッフゥ~!!(マ○オ風)




