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232回目 2019/11/2

 今回はまとめサイトからネタを拾いました。


 物語の楽しみ方について、とあるツイッターを利用している方が『キャラ派』と『作劇派』に分かれていると思う、と意見を書いていた。


 この分け方としては以前、私も似たような認識の齟齬があったとここでぼやいていたと思う。この二つで分けるのなら、私は完全な『作劇派』だ。


 例として、『推しキャラが死んで辛い』という感想がピンとこない、などと挙げられていたのも強い共感を覚えた。そもそも、『作品』に対して『推しキャラ』などという存在を見いだしたことは一度もないためだ。


 おそらく、『キャラ派』の方々からすれば信じられない意見かもしれない。けれど、この方も書かれていたように『そのキャラの死が物語の構成として必要なものであるのなら、むしろ評価するところ』と考えるのだ。


 これに関していろんな意見が集まっていたようだが、私の場合は身近な問題でもある。


 というのも、少し前に『線上を移動する点P』で小説を作れ、と無茶ブってきた身内が、完全な『キャラ派』と思われるからだ。


 マンガ・小説・アニメ・ゲームなどのサブカルと呼ばれる分野に関しては、私と比べると一日の長があるその身内が言うに、『作品の中に共感できるキャラが一人でもいれば見れる。いなかったら切る』らしい。


 私は前述の通りこの感覚が理解できず、話は聞くが『そんなものか?』と内心で首を傾げることしかできない。


『キャラ派』の人は作品に対する『興味や好き』を『作中の誰か』にすべての意識を注げるのに対して、『作劇派』の人は『作品全体』に対して『興味や好き』を広げている、という違いがあるように思える。


 双方に言えることだが、『興味関心の注ぎ方』の違いは良くも悪くも作用する。正直、この分け方で対立する人々との議論は反発しか生まず、平行線のまま結論は出ないだろう。


 最近、そのことを特筆して感じたことがある。


 数ヶ月くらい前だったと思うが、雑談の延長上でその身内ととある作品について意見を交わしたことがある。


 それはガンダム作品の『鉄血のオルフェンズ』で、私は詳しくなかったがどうやらネットでラストの展開をものすごい叩かれ、ネタにされたようだ。


 ラストのせいで、世間の大多数の評価はめちゃくちゃ悪いというのは知っているが、実のところ私はこの作品をラストも含めて『とても面白かった』と評価している。


 推定『キャラ派』である身内の意見としては、『仮面の無能(マ○ギリス)が穴だらけのガバガバな作戦で協力を仰いだ主人公サイドを追いつめた上に、団長(オ○ガ)が部下をかばって無駄死にしたのは意味が分からない』というのが意見の骨子だった。


 加えて、『仮面の無能(マ○ギリス)はガンダム作品のブランドを背負うなら、基本は主人公側の敵として戦って散れ。何で元味方(ガ○リオ)と最終決戦演じて無責任に死んでるんだよ』というのが怒りポイントだとのこと。


 言われてみればわからいでもないが、その点も私にとっては『どれだけ優秀な人物でも、完璧ではない人間らしさがある』ということでしかなく、そこまでこき下ろす要素なのか? と思ってしまうのだが。


 さてその一方、『作劇派』の私からすれば『典型的な神話的構造の物語』として当該作品を見ており、全編通して『リアルな戦争と人間臭さ』が描かれていたのが、世界観を徹底していてすごい、と思っていた。


『オルフェンズ』にはいわゆる『栄枯盛衰』が主人公サイドで進められており、評価が高かった(らしい)前期までは『決起と成功』が、評価が一転した後期は『選択と転落』が描かれていると解釈している。


 他にも、そうしたダークでシビアでシリアスな世界観が、私の好みとしてかなりドストライクだったのも大きい。考えてみれば、序盤から主人公サイドが所属していたのは『非合法のヤクザ組織』であり、大成の難しい立場であったと思えばあの終わりも納得はできてしまう。


(まあ、ガンダム世界において主人公の所属が非政府組織であることも多いのだが。思いつくだけでもV(ビクトリー)W(ウイング)X(エックス)・F91・クロスボーン・00(ダブルオー)などがそうだろう。だいたい大団円風に終わったところが、『オルフェンズ』との違いではあるが)


 まあ、どう説明しようがこの作品は主人公サイドにとってほぼほぼ『バッドエンド』である。


 ただ、『どんな過酷な現実にぶち当たってくじけようと、それでも明日は続いていく』という終わり方は、私にとって『意味のある結び』だったと感じてもいる。


 結局は感じ方の違いなのだが、身内の意見が私に馴染まなかったのと同様に、私の意見も身内には理解不能だったらしい。私にその気はなくとも、『作品信者か逆張りみたいで意味不明』というニュアンスの言葉を返されたくらいだ。そのくらい信じられない考え方だったのだろう。


 こうした実体験も踏まえると、『キャラ派』と『作劇派』は永遠に交わらない勢力だと言える。個人的な意見ではあるが、この考えは断言してもいい。


 しかし、冷静に考えると『小説のお題』で『線上を移動する点P』をぶつけてくる時点で、身内とは趣味や感性が合わないのは必然だったのでは? と半ばあきらめていた節はある。


 今後も意見の相違で喧嘩にならない程度に、身内の話も聞いていこう。基本、私が自分の意見を引っ込めて聞き手に回るだけだが……。


 最近は創作系のネタも少なくなってきたので、話題にできる頻度(ひんど)が下がりましたね。


 毎日トピックを作成しているので、無理もないかとは思いますが。

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