211回目 2019/10/12
今年は何でこう厄介な台風が多いんでしょうかね?
風雨の強さに反して被害が小さいことを祈ります。
例のごとく、いつもお世話になっているまとめサイトの中で、またまた気になる記述を見つけた。
内容は典型的な『なろう』批判系で、『なろう小説の漫画をどれだけ読んでも、読了後はマジで何も残らない』というタイトルだった。
スレ主のチョイスまではさすがにわからないが、書籍化した大多数の『なろう小説』は似たようなたたかれ方をしているので、それはいい。スルーできる。
とはいえ、そこから始まるやりとりの中で、一つ引っかかった反応があった。一部を意訳して抜粋する。
『なろうの手法は、創作から逃げている感がある。何となく読み続けられる率が高い代わり、読み終わった後は本当に何も残らない。なんやかんや強くなって、ヒロイン出て、活躍するのループでまともなドラマがない』
私が気になった部分だけを抜き取ったので、原文そのままではないが、おおかたこのような意見が目に引いた。ちなみに、どちらかというと小説よりも漫画に関する意見である。
『ドラマがない』、というのはよく目にする意見だが、『読み終わった後は本当に何も残らない』、というストレートに刺さる意見は初めてだった気がする。
それだけ、『なろう』で書籍化した作品は刹那的なカタルシスしか残さない、ということなのだろうか? う~ん、表現が違うだけで『精神的ポルノ』という評価と似ているかもしれない。
また、別の場所――というか『なろう』のエッセイで見たのだが、『なろう』の主人公とイキリについて書かれたもののなかで、『少年』への違和感に注目されていた。
すべてとは言わずとも、書き手がある一定の年齢以上になると感じるような『外からの圧力によるストレスの解放』を目的に、主人公は作中世界を暴れているのでは? という考えと私は受け取った。
普通の『少年』だと、思春期特有の言葉にできない『内からあふれ出すストレスの解放』のためにいろんな行動をする。スポーツだったり、勉強だったり、芸術だったり、行き場のないエネルギーを発散する場を求めて活動する、みたいな感じらしい。言いたいことは、何となくわかる。
が、『青年』になると仕事を主とする社会と関わることで生じる『ストレス』により、どんどん『してはいけないこと』――『制約』が増えていく。それをどの程度、どれだけの数で覚えるのかはその人次第だが、抑圧されて鬱屈した思いを爆発させるように、自分以外の何かにぶつける暴力性が『イキリ』につながる。
私が読んだ限り、そのエッセイ作者はそう主張しているように思えた。『イキリ』は『大人げなさ』とも言い換えられ、思い通りに行かないことに癇癪を起こす子供みたいな、『幼児退行』に近い破壊衝動を表している、という風に解釈できた。
その方が知っている『なろう小説』のラインナップも不明なので、あくまで個人の印象にすぎない話にはなるのだろうが、『読了後の虚無感』と少し関係があるような気がしている。
おそらく、共通して言えるのが『作品を通して主張したい主題がない』、ということなのだろうと思う。
ライブ感や読者の感想でルートを変えることも多い『なろう』においてはマイナーになる考えなのかもしれないけれど、『主題』があるのとないのとではだいぶ違う。
特に長編になると、『主題』を定めていればイヤでも『主題』の方へ話の舵を切ろうとするし、時には自分でも気づかない内に『主題』へ話の方向性が流れることすらある。
『主題』にとらわれることもあるかもしれないが、私の感覚では『主題』に寄り添っているというか、小説が『主題』ありきなので『芯』がブレない安定感はある。
とはいえ、大きな『主題』に引っ張られすぎて話の展開がマンネリになってしまっては意味がない。そこらへんはうまく注意して、書き分ける努力はした方がいいのだろう。
一応、小説を書く身として『面白い』と思っていただけることはとてもうれしい……だがそれ以上に、『読んで良かった』と思ってもらえるものを残したい。ついでに言えば、もっと速く小説を書けるようになりたい。
人の欲望とは尽きるものではないけれど、貧乏なのに『お金が欲しい』と思えないあたり金銭感覚や危機感覚が狂っている気はしている。
……もっとがんばろう。
なお、全く関係ありませんがこれを書く直前、いきなり降りてきたネタがR18で戸惑ってます。
しかも、私の感性だと『抜けず』に『泣ける』プロット……ここは全年齢でやってますので詳しい説明は省きますが、なんでエロと純愛と暴露療法をセットにしようとしたんだ私は……みたいなネタでした。
最近、某『シンデレラ』を投稿した影響かもしれません。だから作者に心の傷を残すなとあれほど……(ぐすん)。
ひとまず、現段階でプロットはメモりませんでした。基本うつ系で書く度胸がなかったので。




