210回目 2019/10/11
知識を付けるためにちゃんとお金を使わなければ、というお話かもしれません。
いつものまとめサイトをのぞいていると、ある興味深いものが紹介されていた。
その名も『罵詈雑言辞典』。記事タイトルは『レスバ(※レスバトルの略)に使えそうな辞典が発見される』で、ツイッターの発言をまとめられていたものだ。ちなみに、アマゾンで売り切れたそう。
私もそれを見て『欲しい』と普通に思った。どうやら『罵詈雑言辞典』は過去の名作文学などからも引用しているらしく、『罵詈雑言』のレパートリーを増やすにはとてもいい辞書だと思う。
思えば、世の中にはいろんな辞書・辞典が存在する。『官能用語辞典』なるものがある、というのも風の噂で聞いたことがあるくらい、多様な辞書があるようだ。
小説を書く上でストレートに役立ちそうなのは上記二例を含め、単純に『国語辞典』とか『類語辞典』、『対義語辞典』や『ことわざ・四字熟語辞典』に『故事成語辞典』などが使えそうではある。
まあいろんな種類が豊富で子供時代には思わなかったわくわく感が辞書にはあるが、何せ高い。そして重い。ミステリーの凶器として登場する(※ソース不明)くらい、辞書の密度と質量と存在感はハンパないのだ。
しかも、広辞苑を例にすればわかるが、年数が経てば新しい言葉が生まれ改訂されるため、定期的に購入する必要性も出てくるだろう。『現代語辞典』とかは、一年ごとに新しくなっているイメージすらある。
そんな辞書を手元にそろえようと思えば、まあ結構なお金が必要になるだろう。辞書は本の中でも高い部類だし、何より重い。リュックに詰めて振り回せば、立派なモーニングスターだ。
まさに、知識は剣よりも強し、といったところだろうか。これは『歴史の長さと実体質量は比例する』、という新説を証明する偉大なる一歩である。むろん、嘘だ。
何がいいたいかというと、特にない。ちょっと思ったのが、『やっぱり『知識』って豊かさが必要なんだな』ということと、『電子辞書と紙の辞書、使い勝手はどっちが上?』という疑問くらいだ。
前者はまあ、歴史が語っていることだろう。世界中いろんなところで階級制度は存在し、下の方へ追いやられた人々は下手な知恵を身につけないよう、基本的に教育などは施されていなかった。
支配者階級にとってはバカの方が使い勝手がいいし、知識と知恵を身につけて革命でもされたらたまったものではない。そういう意味では、江戸時代の識字率って異常だったんだな、って思ったり思わなかったり。詳しいことは知らないけど。
後者は、最近ちらほら聞く小学生の辞書学習というものを知って思うようになった。読んだ部分に付箋を貼りまくり、膨張した辞書を札束に見立て相手の頬を殴る(知的)富裕層のゲスな遊びである。(※一部誇張あり)
語彙力の向上としてはとてもいい学習法だな、とはテレビで見てて思った。たしか、適当にページ数を選んで開き、知っている単語を付箋に書いて貼ったり、知らない単語を調べた証拠としてまた付箋を貼る、みたいなやりかただっただろうか?
とにかく、そうやって付箋で着膨れした辞書を持ち歩き、暇があればグラウンドで遊んでいるような知識弱者を捜して笑いながら頬をたたく、という(知的)上流階級の戯れが小・中学生に認知されつつあるらしい。(※一部誇張表現あり)
しかし、国語力の強化とレスバ文化に相関関係があると確認されたら、未来のレスバは難解単語のオンパレードで埋め尽くされるのだろうか?
己の発言が覆轍を踏んでいることに慚愧の念を覚えないとは、いやはや同じ国に生まれた人間として遺憾の極みだな。死んで贖うなら介錯してやるぞ? 的な?
自分で書いてて意味不明だが、せめて意味が通る文章であって欲しいと願うばかりだ。
しかし、もし高等遊民同士で行う難読難解単語オンパレードのレスバがあるなら、ちょっとだけ見てみたいと思ってみたりします。
たぶんまったく理解できないでしょうけど、頭がいい人同士の罵りあいも、たぶん雰囲気だけなら下品なスラングばりばりのスラム式罵倒と通じる熱は感じそうですし。
そして、お互いに言いたいことを全部ぶちまけあったら相手の検討をたたえてハグし、マイメンになるのもまた世界共通の文化でしょう。
あ、全く関係ないですけど、ラップのフリースタイルバトル(?)って何をしたら勝ちかぜんぜんわかんないですよね。あれも言葉の文化ですけど、深夜テレビで偶然見かけたら『コンプライアンス』で隠されてましたし。
どんだけ汚い言葉を使ったんでしょうか? もし『罵詈雑言辞典』が手元にあったら……と思うと夜も眠れません。だって、夜型の生活してますからね!(深夜テンション)




