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208回目 2019/10/9

 今回気になったのは、記事そのものと言うより記事に寄せられたサイト利用者のコメントでした。


 記事の内容としては、『作家は読者が読みたい物よりも、自分が書きたい物を書いている』みたいなタイトルが付けられたものだった。


 だいたいの流れはいつものように『売れている』とか『オタク媚び』とかの、『なろう』のあまり印象が良くない評価や雰囲気が流れていた。


 とはいえ、私の目を引いたのはその記事につけられたコメントの方だ。


 (いわ)く、『書きたいことを書いている人の中には面白い作品も多いが、そういう人たちは逆に宣伝が下手な場合も多い』というような意見だ。


 書いている人の実感か、それとも読者としての感覚的な考察かは不明だが、『内容に力を入れている人ほど『作品』に時間をかけるから、相対的に『宣伝』へ時間をかけないのでは?』とのこと。

(ちょっとひねった意見として、『ランキング不正』に手を染めていないからよけいに埋もれる、なんて意見もあったが……)


 こういう『こっちの方がいい』みたいな二元論的対立が起こると、比較的のちのコメントは否定派が多くなるものだが、今回は珍しく『内容に力を入れてほしい』という意見に同意する言葉が多かった。


 まあ、『読まれなきゃ意味がない』などの根本的な問題を指摘する人もいたが。


 個人的には、本編に力を入れて宣伝が下手な人は、タイトルやあらすじも苦手なんじゃないか? と思う。看板(タイトル)謳い文句(あらすじ)も『宣伝』に含まれるとしたら、得意ではないと思ってしまう。


 内容が良いか悪いかは別として、いち『書きたい物を書いている作者』として意見を述べると、『宣伝』って難しい上に恥ずかしいという『二重の壁』が存在しているように思う。


 まず『難しい』だが、自分が書いた物の『どこが面白いのか』などをピックアップするのに悩むばかりか、『どうやって表現するのか』を考えるのもまた悩み所になる。


『どこが』、と言われてもこっちとしては『どこも力入れているし……』と思いながら執筆しているわけだし、『書きたい物を書いている勢』からすればよけいに『『作者(こっち)は』全部面白いと思ってっから』となってしまう。


 最終的に作品をどう評価するかは『読者』にゆだねられているのは変わらないが、『面白さ』という主観的評価から『作者』である『個人の意見』を反映させた『宣伝』で『作品の印象をゆがめる』のは、正直どうなんだろうか?


 そのものズバリ! な『宣伝』になっていれば問題ない。しかし、本来『創作者』は『創作』が専門であって『宣伝』は素人であっても不思議ではない。

(ついでに『経営』も不得意だろうから、『商業作家』って多方面(マルチ)才能(タレント)が要求される気がする……)


 勉強ができても人に教えるのが下手、と似たような感じだろうか。小説は『自己表現』の手段には違いなくとも、だからといって作家は『自己アピール』が得意なわけではない。むしろ、『自己アピール』が得意なら『手段』を選ばず、小説以外のいろんな表現がうまいはずだ。


 そして、その話ともつながりそうなのが『恥ずかしい』という部分だ。


 あくまで私の場合はだが、ぶっちゃけ『宣伝』って『自画自賛』な気がしてあまりやりたくない。自分の書いた小説が『面白い』って、よく考えれば『自分の精神性はみんなに評価されること間違いなしなくらいすばらしいから読んで!』というナルシシズム全開な『イタい行動』に思ってしまう。


 私は私のことを『どうしようもない人間』だと評価しているため、よけいに『宣伝(ナルシスト)』なんてできない。鏡を見ればビールっ腹という絶望(げんじつ)と相対するのに、どうして『宣伝(ナルシスト)』ができよう?


 というか、たかだか『自分勝手な妄想』を書き散らしただけなのに、できた物をさも『すごいもの』だと言わんばかりに掲げて声高に『面白いから読んで!』と叫ぶなんて、ただの異常者ではなかろうか? 真剣に正気を疑う。


 世間からすればそこらの石ころ程度の存在感しかないお前の価値はどれほどだ? と。うぬぼれも大概にしろよ自己陶酔野郎、などと思ってしまうわけだ。自分で想像するだけで怖気(おぞけ)が走る。


 自分の価値を示したいなら、それこそ『言葉』じゃなくて『行動』で示せ! というのが私の考えであって、自ら『宣伝』することは『批判の募集』でない限りただの『勘違い』でしかない。


 一応弁明しておくが、『宣伝』そのものを否定しているつもりはない。あくまで『説得力のない自薦(じせん)』に虫酸(むしず)が走る、といいたいのだ。


 コピーライターみたいな『宣伝』のプロは、商品を客観的に観察し売りたいニーズを想定した上で何十・何百の候補を書き上げて厳選する、とても大変なお仕事だ。


 良質な商品をより売れるようにするための補助を行う、という意味では商品販売になくてはならない存在であり、実際記憶に残るコピーは人の心にも残るため、尊敬すべき仕事である。


 第二次世界大戦時、国威発揚と士気高揚を目的に旧国鉄が日本国民へ広めたキャッチコピー『そうだ、橋頭堡(きょうとうほ)()こう!』はあまりにも有名な『宣伝(プロパガンダ)』である。(※この一文はフィクションです)


 要するに、『プロ』とは『専門家』であるからして、『門外漢』になってしまう分野へ安易に手を出せば高確率で失敗する、ということだ。


『小説家』は『小説のプロ』であって『宣伝のプロ』ではない。『宣伝』に力を入れてしまえば、『宣伝のプロ』にはなれても『小説のプロ』にはなれない。


 上記は当たり前かもしれないが、ネット小説の世界だと『小説のプロ』でありながら『宣伝のプロ』にもなれないと、もはや日の目を見ることなどできない。


 ならば、開き直って『書きたいものを書く作家』に専念した方が好きなことをできてストレスもない。


 全員が全員そういう考えではないだろうが、『宣伝が下手』な理由の一端(いったん)はこうした考えにあるのではないかと思う。


 途中、変なスイッチが入りましたがそれくらい自分で自分の小説を『宣伝』するのがイヤ……というか、気持ち悪い? んだと思います。


『さあ、悪いところを見つけてボコボコにして!』みたいな『(さら)し』なら、ちょっと興味あるんですけどね。やったことありませんが。


 他の人の感覚はわかりませんけど、私の広報精神がこのままなら広く読まれるような作品なんてできないでしょうね。今はそれでもいいや、と思ってますからきっと問題ないですね。


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